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「Diva」〜後編〜
8.
海に近づいている筈なのに波の音がしない。
不思議に思いながら前を歩くオスカーの後ろ姿を見ていたら、ふいにオスカーが振り向いて笑いかけてきた。
「急にしおらしくなったな。なにを考えている?」
いやな人ね。せっかく素直になろうとしているのに。
ロザリアは少しむっとして言い返す。
「海に向かっているのに波の音がしないのはどうしてかしら。それを不思議に思っていただけですわ」
「ああ・・・。それはくれば分かる」
「それに、わたくしが知っている流氷って砕氷船に乗って見に行くものでしたわ」
「そうだな、その方が確実だ。だが、この海岸一帯は海に漂っていた氷塊が少しずつ小さくなったものが接岸するんだ。そのせいで海岸に近付いても波の音がしない。むしろしんと静まり返っているんだ。・・・ああ、そろそろ見えてくるだろう」
足元があぶない場所をやりすごし、平坦な砂地になってもオスカーはロザリアの手を離さなかった。ロザリアもオスカーの手を振りほどこうとはしない。
俯いていた顔をあげると視界に飛び込んできたのはロザリアが思っていたような海の色ではなかった。
それは流氷で埋め尽くされた海岸だった。なんと表現すればいいのだろう。
氷なら透明か白いものと思っていたが、それは・・・。
アイスブルー。
風の音以外なんの音もしない。目の前に広がっているのはまるで白い大地。
遥か彼方から海を渡ってくる巨大な氷塊はぶつかりあい徐々に小さくなってここへ辿り着く。
この海岸を埋め尽くしている流氷は波の音さえ呑み込んでしんと静まり返っている。
ごつごつとした巨大な氷塊だけではなく、さまざまな大きさの氷の欠片がひしめき合っている。海岸伝いに歩けばそのまま流氷の上に乗ることさえできそうだ。
「すごいわ・・・」
思わず手に力が入った。オスカーはロザリアの顔をみつめながら、ゆっくりと握り返してくれた。
ロザリアのロイヤルブルーの瞳をみつめるオスカーの瞳、それはまさしく凍てつく北の海を漂う流氷のアイスブルー。
あなたの瞳の色ね・・・。
どこまでも冷たい表情をみせるのにどこかやさしいと感じてしまう。その色に魅せられ引き込まれてしまう。
「沖の方が見えるか?流氷の途切れたあたりだ」
オスカーは遠い海の方を指差した。ロザリアはその指先が指し示す沖へと眼を凝らした。
「あそこで海の色が違っているだろう?波が流氷にぶつかって波頭を立てているからだ。いま、この海岸には波さえ届かない。・・・おかしな話だと思わないか?」
北の惑星と呼ばれるこの星の中でも最北端のこの土地から臨む、どこまでも冷たい暗い冬の海の色。沖で立つ波頭。想像したこともなかった、流氷に埋められた海岸。
不思議な静けさをたたえたこの場所にあなたとふたりきりでいる、この何物にも代えられないひととき。
ああ・・・。
あなたはこれをわたくしに見せてくれようとしたの?
ロザリアの脳裏に鮮やかによみがえる、記憶。
『他人と共有できる時間は限られているだろう。
だからこそ、一緒にいられるときは美しいものが見たい。・・・そう思ったのさ。』
・・・ああ、なにも変わっていない。あのときとおなじ。
燃える薔薇のような夕焼け空をふたりで見た、あのときと・・・。
オスカーの指がロザリアの頬をなぞった。
・・・?
隣にいるオスカーを振り仰ぐように見上げるといたわるようなやさしい顔でロザリアをみつめている。
瞬きをするとぽろぽろと涙が零れた。・・・ああ、涙ね。
眼を閉じるとあとからあとから熱い涙が溢れて来て胸が震えた。
・・・あなたを愛しているわ。
生まれた家も星ももう帰れない。女王になる夢さえ失ったわたくしにたったひとつ残されたもの、それがあなたへの想い。
行き場をなくした想いはどこへ行くの?
もうどこにも行けない・・・。どこへも辿り着けない。
「風がでてきた。車にもどろう」
オスカーはロザリアの正面に回り込み、軽く抱き締めるとすぐ体を離した。
あくまでも自然な抱擁。・・・まるで恋人同士みたい。
「行こう」
ふたたび手をつなぎ直して歩きだしたとき、いままで聞いたことがない音がした。
思わず振り返る。
「・・・不思議な音・・・」
押し寄せた流氷がぶつかり合い、擦れ合う、その不思議な音。
「あれが広い海原ならもっと派手な音がするだろうな。流氷がもっと巨大な塊で、海が大きくうねっていれば、ぎしぎしと軋むような音がするそうだ」
ロザリアはいま聞いている音に耳を澄ます。オスカーが説明してくれたような音だとは思わなかった。
ロザリアは実際に流氷を見たことはなかったが、自然科学のビデオである惑星の流氷の記録を見たことがあった。陸地と見まがうような巨大な氷塊が海に落ち、スローモーションのように海面に沈みこみ、ゆっくり浮上してくる。嵐のような荒れた冬の海を漂う流氷がぶつかり合い、お互いを持ち上げ、 せめぎ合う、その音。
・・・なにかに似ている。そう思った。・・・そう、これはまるで。
「・・・まるでイルカの声みたい」
求める答えに行きつき、ロザリアはぱっと顔をあげてオスカーに無邪気な笑顔をみせた。
オスカーは満足そうに微笑み、ああ、そうだな、とロザリアに同意した。
「強い風が吹きつけると沖で海面を揺らし波を起こす。その絶え間ない連鎖が次第に大きな波となって海岸に打ち寄せた流氷を持ち上げているんだ。幾度となく繰り返しているあいだにこの海岸はシャーベット状になるらしい」
「そうね、氷は溶けるもの」
「流氷は春の訪れを告げる、北の海からの使者、というらしい。なかなか風流な言い草だと思わないか」
「春の訪れ・・・、そう」
なにげなく口にして初めて気がついた。冬のあとには春がやってくる。北の惑星と呼ばれ雪に閉ざされたこの星にも春が訪れる日がくるのだわ。
それなら・・・いつか。
ロザリアは少し前を歩くオスカーの横顔を見ながら思った。
このやり場のない想いにも終止符を打てる日がくるのかしら。
胸の痛みを感じることなくただ懐かしい思い出として、まるでアルバムのページをめくるように眺める日がくるのかしら。
そうね、いつか。
そうなれば、いい。
9.
オスカーは地図を確認して一番近くの町にある食糧店に寄った。
「料理はできるか?」
「え、ええ。簡単なものならひととおり」
「そいつはよかった。実はこの近くにホテルはない。貸別荘があったからそこを予約してあるんだが、今夜の食糧を調達しておこうと思って。俺はキャンプ仕様のメニューなら作れる。ワインとパンとなにかあったまる料理があればなんとかなるだろう?」
それはそうですけど、と返しながらなんだかおかしいわ、とロザリアは思った。
ここへ来たのは公務のはずなのに。
なのに最初からオスカーのペースでことを運ばれ、まるで観光に来たカップルのようにふるまっている。
わたくしらしくなくあなたの前でも素直になろうとしたり・・・。
それでも悪い気はしない。
「それならコーヒーも要りますわね。あと卵とベーコン、明日の朝食もお忘れなく」
オスカーは口の端に笑みを浮かべる。
「了解。デザートはなにがいい?フルーツか、それとも?」
ロザリアもにっこりと微笑んで言った。
「ここでは酪農が盛んだと聞きましたわ。ぜひ、アイスクリームをお願いします」
まるでピクニックかままごとのようね、とロザリアは思った。
がっしりした木造りの山荘はまるで白雪姫のお話にでてくる七人の小人が住んでいる家のようだわ、と思った。
管理人は無愛想な顔をした老人だったが、オスカーとロザリアが来るまでの間に暖炉に火を入れ部屋を暖めてくれていた。
オスカーが持っていた荷物を有無も言わせずその手に引き取り、部屋に運び込んでくれたことから、きっと言葉や態度に表せないだけで、とても働き者で、人に対して気を遣える人なのだろう。
簡単に部屋や台所の説明をすると「冷蔵庫にわしの育てた牛の乳が入っているから温めて飲むといい。ぐっすり眠れる」と言ってくれた。
「まあ。ありがとうございます。たのしみですわ」
ロザリアがうれしそうに礼を言うと無愛想だと思っていた老人の顔がくしゃくしゃになり、びっくりするほど人の良さそうな笑顔になった。
・・・ああ、この人は笑うとこんな顔になるのね、こんな厳しい自然の中で暮らしていると顔つきも厳しくなるのかと思っていたのが申し訳ないわ。
つられて笑顔になったロザリアをオスカーがおかしそうに見ていた。
この山荘の裏の牧場を越えたところに住んでいるという老人が自宅に帰ってしまうと、ロザリアとオスカーは一緒に食事の支度をした。
ポトフを作るつもりだったがすね肉を煮込む時間を省略し、大きめのソーセージで代用した。
オスカーは器用にナイフを使ってじゃがいもの皮を剥いていた。
「お料理をなさるとは思いませんでした」
ロザリアが正直に言うとオスカーは苦笑した。
「父が休暇をもらったときはキャンプに連れて行ってくれた。野外での食事はもっぱら男の担当だったな。おかげで料理の腕は上達したし、母が喜んでくれるのもうれしかった」
「仲のいいご家族だったのね。・・・このチキンはどうなさるの?もう塩コショウがしてあるみたいですけど」
「ああ、それはダッチオーブンで焼くだけで食べられる。手間もかからないで、しかもうまい」
「男の手料理、ですわね。手際がいいのも腕のうちですものね」
しみじみと楽しかった。
ふたりで食事を作る、ただそれだけでこんなにも楽しいなんて。口にする話は他愛のない軽口なのに、かけがえのない貴重なものに思えた。
・・・リモージュ。
あなたはいまなにをしているのかしら。なにを思っているのかしら。
あなたの思惑が分からないまま、それでもわたくしはこの時間が少しでも長くつづいてくれることを願っている。
あなたにお礼を言わなければならないわね。
そしてなによりもごめんなさい、と言わなければ。
・・・いまだけよ。
明日にはわたくしは女王補佐官にもどる。だから、許して。・・・いまだけだから。
ふたりで食べた食事はおいしかった。
ふたりで作ったポトフとチキンのグリル、全粒粉のパン。それから管理人の老人からもらった自家製のチーズ。
ワインを開け、ふだんなら話さないような些細な話題でも楽しかった。
リクエストした濃厚な味のアイスクリームを味わったときには思わずはしゃいでしまったほど。
ふたりで後片付けをしたあとはもう満ち足りた気分でいっぱいだった。
素直になるのもいいものね・・・。
わたくしがこんなこと考えていると知ったらあなたは笑うでしょうけど。
暖炉に新たな薪をくべ、オスカーは床に敷かれた絨毯に腰を下ろした。
「ロザリア」
「・・・はい?」
「こっちに来てくれ、話がある」
ロザリアはなんの疑問も持たず、オスカーに言われるままその正面に座った。きっと明日のスケジュールのことね、と思った。
「訊きたいことがある、正直に答えてくれ」
「・・・え」
オスカーの表情に不自然なものはなかった。率直に質問を投げかけている。
だが、次の言葉を聞いたときロザリアは激しく動揺した。
「女王候補だった最後の日、きみはどこにいたのか、教えてほしい」
・・・!
「・・・どう、して」
どうしてそんなことを聞きたいの?とその眼は言っていた。
ロザリアの指がぎゅっと握りしめられた。いつもまっすぐ人をみつめる青い瞳はゆっくり逸らされた。視線は内心の動揺を悟られないようオスカーを見ない。
「ずっと気になっていた。だがきみは俺を避けていたから話をするどころじゃなかった、そうだろう?」
「そんな、避けているなんて・・・、」
・・・うそだわ。ずっと逃げ回っていた。自覚はあった。
「きみは嘘をつけない。それぐらい知っている。あの日きみは寮の部屋にいなかった、俺はそれを知っている。だが、どこにいたのか、なにをしていたのか、それを教えてほしい」
「・・・知っている・・・?どうして、あの日あなたはリモージュと一緒にいたはずでしょう、どうしてわたくしが・・・」
・・・!
思わず口にしてはっとなった。オスカーの眼が眇められた。
「リモージュ・・・?なぜきみがそれを知っている」
ロザリアの唇が真一文字に結ばれた。・・・言えない。
後ずさりするように身を引いたロザリアの腕をオスカーが捉えた。決して強い力ではなかったがロザリアは怯えた。
「きみはなにを知っている?たしかにリモージュは俺のところへ来た。だが、俺がリモージュを寮へ送って行ったとき、きみは寮の部屋にいなかった、そうだな?」
「どうして・・・」
あえぐようにロザリアがつぶやいた。オスカーははっきりそのアイスブルーの瞳に厳しさを滲ませて迫ってくる。
「・・・ルヴァか?」
「・・・え?」
いまオスカーはなんと言った?
その言葉の意味が分からない。
・・・ルヴァ・・・?
どうしてここでルヴァの名前が出てくるの・・・?
「な、なにを言っているの、・・・オスカー、あなた」
ロザリアは混乱した頭で懸命に考えた。
オスカーはあの日、リモージュを寮に送ってきた。そしてわたくしが寮にいないことを知った・・・、待って、おかしいわ。
ロザリアの疑問を先取りするようにオスカーが言う。
「きみの部屋を訪ねたとき、ばあやさんが出てきた。きみが部屋にいないことを知って驚いていた」
そうだったの。それは分かった。でも、いまの言葉の意味は・・・?
それに、なぜオスカーがわたくしの部屋を訪ねて来たのか、なにか理由がなかったらおかしい。
だって、リモージュがあなたのところへ訪ねて行ったのは夜だったんだもの。
いくらあなたでもレディの部屋を訪ねるべき時刻はおわかりでしょう?
ぐるぐると考えを巡らせていたロザリアの顔を見ていたオスカーが、はぁ、と長いためいきをついた。
「あのなぁ・・・」
「・・・」
まったく分かっていない。・・・このお嬢ちゃんならしかたないか。
だが、ずっと待つばかりだったのにやっと手にした機会を逃すつもりはない。
オスカーの瞳が許しを乞うようにロザリアを見ている。
女王候補の時代には呼ぶことがなかったきみの名前を俺は今日初めて口にした。
そのことに大きな意味があるのをきみはまだ知らない。
なにも気がつかないきみに触れるのは罪だろうか。だが、それでも。
「・・・逃げないでくれ」
え、と訊き直そうとしたらそのまま息も出来ないくらいきつく抱き締められた。
「オ、ス・・・」
「いまだけでいい、俺のことだけ考えてくれ」
いつもなら余裕ありげに聞こえる声はせつなげに掠れていた。
いまだけ?
じょうだんじゃないわ、あなたのことを考えないときがあると思っているの?
人の気も知らないで。
どこがプレイボーイなの、女性の心を読むことくらい簡単じゃないの、そうでしょう?
・・・馬鹿。
なぜ涙なんて出てくるの。あなたのせいよ。
わたくしは明日になったらいつもの顔に戻る。
優秀と誰もがうわさする女王補佐官に。誰に対しても公平に接するのよ。
だから今日だけ素直になってあなたの側に居たかったのに。たったいまあなたがぶち壊した。
ひどいわ・・・!
肩を震わせて涙を流すロザリアを離すまいとオスカーはさらにきつく抱き締めた。
10.
どちらも押し黙ったままふたりは動かない。
時計のないこの家にはときおり暖炉の中の薪がはぜる音しか聞こえない。
お互いの心臓の音がやけに大きく響いている。
まだ涙は乾いていなかったがロザリアはぼんやり考えていた。
・・・へんね、これって、なんだか痴話げんかでもしているみたい。
だいたい、プレイボーイを気取るならもうちょっとスマートにできないのかしら。
冷静になってよぉく考えてみて。さっきのわたくしたちのやりとりって、どこかおかしいわ。
・・・その前に。
「オスカー、少し苦しいのだけど」
ロザリアはようやっとのことで息を継ぎ、オスカーに訴えた。
「離して」
「いやだ」
「・・・じゃあ、少しでいいから力をぬいて」
「・・・逃げないか?」
ちょっとの間、ロザリアは考えた。逃げると言ってもここは聖地から遠く離れた北の惑星。
それも首都から車でたっぷり二時間もかかる北の果て。
あたりに見える民家はここの管理人をしているあの老人の家だけだ。あとは雪ばかり。
いったいどうやって逃げるって言うの?
ああ、また話がずれている。どうして?
・・・もう。
ロザリアはオスカーの背中に手を回してしっかりと抱きついた。日頃の鍛錬で鍛えた体は筋肉質で引き締まっている。・・・大きな背中。
ぴく、とオスカーが微かに体を強張らせた。
「これでいい?」
逃げないことを証明するためにそうしたのに、オスカーはなぜかうろたえている。
大きなためいきをつき、腕の力を緩めロザリアの肩口に頭を乗せた。
「オスカー・・・?」
「勘弁してくれ・・・」
きみは俺の忍耐力を試しているのか?・・・まさか。
ロアリアは眉を寄せて考えた。
・・・わたくし、なにかおかしなことをしたのかしら。またオスカーの腕の力が増したような気がする。
「オスカー?さっきのお話のつづきをしたいのだけれど」
「・・・ああ」
「どうしてルヴァの話になったのか教えていただける?」
「きみが夜、こっそり寮をぬけだしたりするからだ。理由を訊いても答えないし、誰かと逢っていたのかと思った」
顔をあげ、むっつりした表情でオスカーが答えた。
「付け加えれば、女王補佐官になって以来ずっと俺を避けているのに、ルヴァのところへは頻繁に通っていた。・・・違うか?」
・・・違わないけど・・・。
「でも、ルヴァのことは誤解だわ。ルヴァは物知りで、それにいろいろ気を使ってくれるし、穏やかで、いい人だと思いますけど・・・いいえ、わたくしはあの日ルヴァに会いに行ったりしなかったわ。・・・それに、どうしてあなたがそんなことを気にされるのか、分かりませんわ」
「まだ分からないのか?・・・まったく、きみはとことん鈍いな」
はあぁ、とオスカーが盛大にためいきをついた。
腕の中のロザリアがオスカーを見上げている。こんなときなのに、どこまでも純粋な眼。
いつもなら『鈍い』など言われたら即座に反応しそうなのに、どうしたんだ?
「めずらしいな、怒らないのか」
「・・・そうね、怒らないわ。とにかく今日だけは」
・・・今日だけは?
オスカーは訝しげに眉をひそめていたが、さきほどからはぐらかされていた質問の答えをもらうために、ロザリアにあらためて訊いた。
「ルヴァとデートをしていたわけじゃない、というのは信じよう。だが、夜遅い時間にどこに行っていたのか、まだ答えていないだろう」
オスカーの背中に回されたロザリアの指に力が入った。オスカーを見上げていた眼は逸らされ、なにかに耐えるようにきゅっと唇を噛んでいる。
やがて小さくロザリアがつぶやいた。
「オスカー・・・。教えて、どうしてリモージュの手をとらなかったの?」
「そんなことを聞いてどうするんだ」
いま、自分とロザリア以外の話はしたくなかった。やっとルヴァのことを聞き出せてほっとしたばかりなのだ。
ロザリアの声は震えていた。オスカーの胸に顔を押し付け、感情を押し殺すようにぽつりと言う。
「・・・おねがい」
オスカーはロザリアの顔を上げさせようとしたが、ロザリアはいやいやをするようにますますオスカーの胸にしがみついた。
「・・・わかった。きみが想像したようにリモージュは俺に自分の想いを告げに来た。だが、俺には愛している女性がいた、ちゃんとリモージュにもそう言ったよ。リモージュはありがとう、と言った。それは見とれるくらいきれいな笑顔だった。たぶん、最初から分かっていたんだろう。俺の返事が欲 しかった訳じゃない・・・。女王になる前にすっきりしたいだけだと俺は思った。あとはさっききみに説明した通りだ。俺は寮まで彼女を送り届けた。・・・他に訊きたいことは?」
・・・胸が痛い。
淡々と事情を説明するオスカーの言葉に打ちのめされてロザリアは涙をこぼした。
愛している女性がいる、そうオスカーは言った。
それはリモージュじゃなかった。
・・・馬鹿ね、どうして気がつかなかったの。
わたくしは無意識の間に、あなたが愛する人はリモージュであって欲しいと願っていたのね。
だって、そうじゃなかったら耐えられない。
女王になったのがリモージュだから、わたくしは聖地に残りあの子を支えようと決めた。
どこまでも前向きでたくましく、ひまわりのように明るいあの子をいつのまにかだいすきになっていたから。
あの子があなたの心を捉えたとしても仕方がないと、そう思っていた。
・・・なのに。
どうしたらいいの。
こんなにもあなたをすきになってしまってーー。
あなたには愛する人がいるのに。
11.
声を押し殺してロザリアは泣いている。
オスカーはロザリアの髪に手をやり、そっと撫でる。
・・・また黙ってしまうのか。
きみの気持ちを知りたい。
ただそれだけを言いたいのにどうしてこんなに回り道をしなければならないんだ?
・・・だが、不用意に踏み込めばロザリアは貝のように心を閉ざしてしまうだろう。
それが分かっているから用心深くロザリアの警戒心を解こうとしてきたつもりだったのだが。
・・・うまく行かないもんだな。
きみは俺の言葉など信じようとしないだろう。どうせプレイボーイの常套文句と切り捨てるだけだ。
本音を口にしても信じてもらえない。それどころかむっとした顔で怒りさえする。
いったいどうしたらいいんだ?
・・・ああ、いっそのこときみの思惑など無視してこのまま浚ってしまおうか。
オスカーはしばらく考えてみて、その思いつきを却下した。苦い笑いがこみあげてくる。
・・・無理だな、きみの怒りを買うことは構わないが、軽蔑されるのは痛い。
まったく・・・、やっかいだな。
何回目かのためいきをつき、オスカーはロザリアの肩に手を置き、その顔を覗き込んだ。
泣き顔を見られないよう俯いたロザリアの顔を両手ではさんで上を向かせる。
まだ涙のしずくが乗っている長い睫毛にそっとキスをするとロザリアが震えた。
怯えさせないよう、やさしい声で言う。
「もう、いい。きみを泣かせたいわけじゃないんだ。・・・悪かった」
物分かりのいい男を演じるしかないだろう。
それでも避けられていた頃よりずっと、いい。
すくなくとも、きみが笑顔を向けてくれるようになっただけいい・・・そうだろう?
「あの管理人が置いて行ってくれたミルクを温めるから、一緒に飲もう。落ち着いたらゆっくりバスタブにつかって、今日はもう休むといい。明日は強行軍だからな」
オスカーはロザリアがホットミルクをゆっくり飲んでいる間に、バスタブに湯を張ることまでしてくれた。
熱いお湯にゆっくり浸かり、今日一日のことを思い出す。
この何か月もなかったような感情の波に襲われ、泣き顔まで見せてしまった。それも一度だけじゃなくて・・・。
・・・あなたのせいなんだから。
明日からどんな顔をしたらいいの。
もちろん、あなたは切り替えが上手だし、心の中でどんなことを考えていても相手に悟られないよう完璧なポーカーフェイスを保てる人だったわ。
問題はわたくしの方にあるのよ・・・。
大人にならなければ。そうでなければ明日からまた女王補佐官の顔にもどれない。
堅く閉ざした心の奥の部屋を護ることに必死で余裕なんてなかった。
・・・ああ、でも少しは気が楽になったかも知れない。あなたの前で涙をこぼすなんてみっともないと思ったけれど、心は軽くなったような気がする。
こんな風に胸の痛みも少しずつ和らいでいくのかも知れない。・・・時間がかかるとしても。
・・・オスカー。
だいじょうぶよ。もうこんな風に取り乱したりしないわ。
あなたにおやすみなさいと言ったらすぐベッドにもぐりこんで眠ってしまうから。
・・・「俺には愛している人がいる」・・・ええ、あなたは正直に言ってくれたもの。
だから、忘れるわ。
ロザリアは溢れだした涙を隠すように両手で湯を掬って顔にかけた。それでも胸の痛みは消えてくれなかった。
「オスカー、今バスタブにお湯を張っているから、あなたもさっぱりなさって」
ロザリアが声をかけるとソファに腰かけていたオスカーが顔をあげた。
「ああ、ありがとう」
オスカーは酒を飲んでいたらしく、氷が入ったグラスに琥珀色の液体が入れられていた。
傍らに置かれているボトルには見慣れないラベルが付いている。
そうね、わたくしに付き合ってホットミルクを飲んでくださっただけで、あなたにはこっちの方がお似合いね。
そう思うと少し癪だわ・・・。
ええ、あなたは大人ですものね。
子供だと何度言われたか覚えていないくらい。でも、子供だって傷つくのよ。根に持つくらいね。・・・そうよ、あのときだって。
突然思いだした言葉に、あのときと同じ痛みが襲いかかる。思い出すたび胸を締めつける、あの痛み。
グラスをテーブルに置き、立ち上がり、髪をかきあげたオスカーの姿にどきりとする。
「寝室の暖房はオイルヒーターだからそのままつけていた方がいい。たぶん、朝方冷え込むだろうからな。俺を待たなくていいから、体が冷えないうちにベッドに入るんだ。・・・おやすみ」
そっけなく浴室に向かうオスカーにロザリアは声をかける。
「あの、わたくしも一杯頂いていいかしら」
「・・・きみが?」
「そうよ、いけないかしら」
オスカーは疑わしそうに顔をしかめた。
「今夜はワインも空けたし、やめた方がいいんじゃないか。・・・ああ、寝室のことなら心配しなくていい。俺はここで寝るから」
ロザリアの眉が寄せられた。
「どうして?」
ここには寝室がひとつしかないのは知っていた。管理人の老人が荷物を部屋に運び入れてくれたときから。
「ベッドがひとつしかないなら仕方ないけど、ここの寝室はツインになっていましたわ。ちゃんとベッドがあるのにこんなところで寝る理由はないでしょう?」
オスカーはいささか困ったような顔をしている。ロザリアからこんなことを言われるとは思っていなかった。
「さすがに嫁入り前のきみが俺と同室なんてまずいんじゃないかと思っただけだ。・・・気を使わせてすまない」
だが、オスカーのその言葉に対してロザリアが抱いたのは怒りだった。
青い瞳にきつい色が宿る。
「あなたにそんなことを考えていただかなくてもけっこうよ!こんな寒い冬の日にここで眠るですって?わたくしのせいで風邪をひかれる方がよっぽど重大な問題だわ、そうじゃなくって?」
オスカーは眼をまるくしてロザリアをみつめている。なぜそんなに激昂しているのか分からなかったからだ。
だが、そんなオスカーを見ていてますますロザリアはいきり立った。
「お忘れになったの?あなたがそうおっしゃったのよ。きみは俺の守備範囲に入っていない。きみのようなお嬢ちゃんに手を出したりしない、安心していい。・・・そうおっしゃったじゃないの!!」
オスカーは固まったように動かない。ロザリアの怒りの大きさに驚いたのもあったが、そんな些細な自分の言葉をきっちり覚えていることに戸惑っている。
「・・・え?」
自分の言葉に追い詰められるように感情が昂っていく。オスカーが不思議そうな顔をしているのも感情を逆なでした。
・・・人の気持ちも知らないで!
「あなたにとってわたくしは妹のようなものなのでしょう?変な気をまわさないで!どんなにわたくしがあなたのことをすきでも、望みはないと教えてくれたのはあなたじゃないの!!」
ロザリアの青い瞳に大粒の涙が盛り上がってくる。胸が痛い。
いままでずっと隠してきた気持ちが抑えようもなく溢れだして、止めることができない。
「どんなにあなたがやさしくしてくれても、一人前の女性としては扱ってくれない。・・・教えてあげるわ、あなたが訊きたかったことよ。女王候補だった最後の日、わたくしはあなたの私邸の前にいたわ。だからリモージュが来たのを知っていたのよ。望みはないと知っていたのにわざわざあなたに振 られるために、あそこにいた。どう、おかしいでしょう?・・・馬鹿馬鹿しくて涙が出るわ!」
オスカーは呆然として立ち尽くしていた。ロザリアの眼からぽろぽろと真珠のような大粒の涙がこぼれ落ち、頬を濡らしてゆく。
オスカーはゆっくりとロザリアの方へ近づいていく。ロザリアの口から出てくる言葉を信じられないような思いで聞いていた。
「・・・ずっと俺の私邸の前にいたのか」
「いいえ、リモージュがあなたの私邸に入って行くのを見ただけで充分だった。だって、わたくしはあなたはきっとリモージュの気持ちを受け入れると思っていたんだもの。どう、気が済んだでしょう。それともまだなにか訊きたいことでもおあり?」
ロザリアはきっと自分がなにを口走っているのか分からないままでいる。
それを知っていながらオスカーは質問した。ずっと知りたいと思っていた。じりじりとロザリアを追い詰めながら逃げ場をなくすためにもう一歩。
「・・・そのあとは?」
オスカーの手がそっとロザリアの指先に触れた。
「宮殿のテラスにいたわ・・・」
宮殿のテラス・・・?
オスカーの脳裏になにかひっかかった。・・・もしかしたら。
ロザリアはオスカーの手の感触に怯えるように身を引いた。だが、すでにしっかりと両手を握りこまれていて振りほどくこともできない。
オスカーは微笑んでいた。アイスブルーの瞳に抑えきれない喜びをたたえて。
ロザリアは真っ赤になった。
・・・わたくしったら!いまなにを口走ったの?ああ、どうしたらいいの。もうオスカーの顔を見られないわ。
12.
てっきり笑いだすか、からかわれると思っていたのにオスカーはずいぶんうれしそうな顔をしている。・・・どうしてそんなにやさしい目で見ているの?
いたたまれない思いでロザリアは顔を逸らした。
「ロザリア」
手を掴まれているせいで顔を隠すこともできない。
「こっちを見てくれ」
いまいましいくらい魅力的な声。逆らえない自分に腹が立つ。
そろそろと眼をやるとぎょっとするほどオスカーの顔が間近にあって息を飲んだ。
「テラスというとあれか?・・・きみと一緒に夕陽を見た・・・?」
絶対分かっているくせに。これ以上わたくしに恥をかかせるつもりなの?
なかば自棄になって言う。
「ええ」
オスカーの微笑みが深くなる。
「俺のことを思って泣いてくれたのか?・・・光栄だな」
・・・なんて人なの!意地が悪いのは知っていたけどよりによってこんなときに茶化すなんて!!
ぱっとロザリアの顔がオスカーに向けられた。口を開こうとして大きく息を吸い込んだとき唇の端にちゅっとキスされた。
「・・・!」
「聞いてくれ。きみに言いたいことがある」
「な、なんですの」
両手で頬をはさまれ瞳を覗き込まれた。どきどきと心臓の鼓動が速まる。
アイスブルーの瞳が初めて見る熱情で揺れている。心をとろけさせるあの低音がロザリアを追い詰める。
「ロザリア・・・。きみを愛している」
息も止まる。・・・嘘でしょう。
「だって・・・」
だって、あなたには愛している人がいるって、そう言ったじゃない。
「・・・まったく、察しの悪い・・・。自分のことだとは思わなかったのか?」
「だから、あなたがいけないのよ!わ、わたくしがどんな気持ちでいたか、なんにも知らないくせに・・・」
「ああ・・・、そうだな。あやまるよ。俺が悪かった。・・・許してくれるか?」
・・・ずるい。
いつもなら絶対そんな言葉を言わないのに、今日はやけに素直なのね。・・・いいえ、今日は何回か聞いた気がする。どうしてかしら。
・・・ああ、わたくしもオスカーのことは言えないわ。いつもけんかしたとき先に折れてくれるのはオスカーだったもの。
それに、決めたじゃないの。今日だけは素直になるって。
「ええ、もういいわ。・・・許してさしあげます」
しおらしく許しの言葉を口にしたロザリアはまだ涙のあとが残っている顔をゆっくり笑顔に変えた。
オスカーはほっと安堵のためいきをついた。自分でもおかしいくらい緊張していた。
「・・・よかった」
そっと瞼にキスをされた。
思わず身を硬くしたロザリアの背にオスカーの腕が回された。
涙のあとが残っている頬にキス。
きゅっとロザリアの指がオスカーの服を掴んだ。
震えている唇にやさしく触れるだけのキス。
「もう・・・離さない」
息を詰めていたロザリアがあえぐように唇を開くとキスは深いものになってゆく。
触れるだけのやさしいキスから、唇をそっとはむように何度も繰り返すキスへと。
慣れないロザリアが戸惑っているのを宥めるように、頬にもそっとキスを落としていく。
何度も襲ってくるめまいのような感情の波に浚われそうになり、ロザリアは怯えた。
・・・だめ・・・!
立っていられなくなりそうでオスカーの背中にしがみついた。
くぐもった吐息だけがふたりの間に落とされた。
長いキスのあと、ようやく解放してもらったロザリアは眼を開けてオスカーを見た。そしてすぐ後悔した。
女性をたぶらかす甘いマスク。その顔にはっきり誘惑の色を滲ませて笑いかけてくる。
「・・・どうした?」
・・・言えない。
キスの間に考えていたことを悟られるくらいなら死んだ方がましだわ・・・!
自分でも顔が赤くなっているのが分かってしまい、救いを求めるようにうろうろと視線を彷徨わせているとオスカーが吹きだした。
「だいじょうぶだ。やましい気分はこっちも同じだからな。・・・さて、バスルームを見てくるよ。ほったらかしでいたから湯が溢れているだろう」
オスカーはさらりとそう言ったが、その姿がバスルームに消えたあとロザリアにもその言葉の意味が分かって耳まで真っ赤になった。
相手の方が一枚上手なのは充分分かっているが、それでも腹が立つ。余裕たっぷりなオスカーにこうしてやられてしまうのはやっぱり不本意だ。
いたたまれない思いでソファに腰掛けたらさきほどオスカーが飲んでいたグラスに気がついた。
ちょうど喉が渇いていた。
・・・氷があらかた溶けてしまっている。これじゃ薄いかしら。
ロザリアはボトルから酒を継ぎ足し、グラスいっぱいになった琥珀色の液体を一気にあおった。
・・・なにこれ。苦い。
味そのものはおいしかったが、どうもこれは水で割った方がよかったかも知れない。
口の中や喉のあたりが熱い。
でもなんだかいい気持ち。そういえばガイドブックに書かれていたわ。冬が厳しいこの惑星では体を温める意味もあって、アルコール度が高いお酒が好まれると。
なるほどね・・・。
急速に酔いがまわり、頭がぐらぐらして来た。
・・・いけない、これは思っていたより強いお酒みたい。
立ち上がろうとしたが立てなかった。
ああ、なんてこと。またあなたに子供扱いされてしまう。
オスカーがやめた方がいい、と言っていたのはこういうこと・・・?
ロザリアが覚えているのはそこまでで、ソファに座りこんだまま意識がなくなったらしい。
13.
寝返りを打とうとしてなにかにぶつかった。
まだ覚めきっていない眠りの中で手を伸ばして触ってみたらほんのり温かい。でも毛布じゃない。だって、硬いもの。
眠い目を瞬かせて見ていると徐々にピントが合ってそれがなんなのか分かってロザリアは目を見張った。
どうして・・・?
驚きのあまり声も出ない。
そのまま固まっていると腕が伸びてきて抱き寄せられた。
・・・!
「起きたのか・・・。気分はどうだ。吐き気はしないか?」
「ど、え、・・・吐き気ってなんのこと?」
オスカーはうろたえているロザリアをしっかり抱き抱えて離さない。その眼に笑いを含んでロザリアを見つめている。
「覚えていないのか。まぁ、無理もないか・・・。きみが飲んだのはいわゆるスピリッツというやつだ。あれはこの惑星でもアルコール度が高いことで有名な酒なんだ。きみのような酒に弱い女性が飲むようなものじゃない。いったいどれくらい飲んだんだ?」
オスカーの説明に恥ずかしさに顔が赤くなる。
「テーブルにあったグラスに一杯・・・」
オスカーの眉が大袈裟に上がった。すぐにおかしそうに笑いだし、肩を揺らしている。
声をたてないようにしているのは分かったが、その腕の中にいるロザリアにも振動が伝わり、むっとした。
ロザリアが機嫌悪そうに押し黙ったのに気がつき、オスカーは口許を引き締めて笑いをこらえた。
「戻ってきたらきみが酔って眠りこんでいたから、ベッドに運んだ。ボトルの中身がだいぶ減っていたからな、推して知るべきと言うやつだな。念のために言っておくと俺はきみに不埒な真似はしていない。・・・安心したか?」
「・・・」
「・・・ん?なにか言いたそうだな」
顔を見られるのがいやでオスカーの胸にしがみつく。
「じゃあ、どうしてあなたと一緒のベッドにいるのか、教えていただきたいわ」
ポツリとこぼした声に拗ねたような響きがあった。
オスカーは苦笑し、ますますロザリアを抱く腕に力を込めた。
「それも覚えていないのか・・・。残念だな」
なんとなく訊かなかった方がよかったような気がする。ロザリアはいやな汗をかきそうで口を結んだ。
なにか取り返しのつかないことをしてしまったんじゃないのかしら・・・?
だが、いくら考えても記憶は戻ってこない。
どうみても楽しんでいるとしか思えないオスカーにもう一度訊くのもいやだわ。
ぐるぐると考えを巡らせているロザリアを見ながらオスカーは笑いをかみ殺している。
特別なことはなかった。
紳士らしくロザリアを寝室に運び、ベッドに入れたまではよかったのだが、ロザリアがどうしてもオスカーの手を握りしめて離してくれなかったのだ。
オスカーはただそれだけのことがうれしかった。
ロザリアが無意識のうちに自分の手を求めてくれた、それだけのことが。
きみは知らないだろう。
ずっときみに避けられていたせいで、らしくもなく周りの人間に嫉妬していた。
とりわけきみの信頼を得て誰よりも近くにいたルヴァに。
女王試験が終わったあの日、きみになにがあったのか。それさえ分かればなにか変えられるのじゃないかと思っていたんだ。
・・・俺の言葉できみを傷つけていたことにも気づけないまま。
きみには悪いが、正直に言うとうれしかった。
俺の言葉できみの心を動かすことができるなんて思ってもみなかった。
オスカーは満ち足りた思いでロザリアを抱きしめる。
・・・あきらめてくれ。
俺はあくまでも利己的にきみを求める。
ルヴァのように己の気持ちを押し隠してもきみを尊重するような愛し方はできない。
この腕に閉じ込めて、離さない。
きみのその青い瞳に映るのはいつでも俺であってほしい。
誇り高いきみが隠そうとやっきになっている、やわらかな心、素直なきみをもっとみせてくれ。
きみに避けられていたあいだ、俺がどれほどきみに恋い焦がれていたか、教えてやろう。
きみが俺のことをすきだと言った以上、もう遠慮はしない。
・・・だから、あきらめてくれ。
そのかわり、息も詰まるほどの愛できみを絡め取り、しあわせにする。
「・・・オスカー、なにを考えてらっしゃるの」
腕の中でロザリアが呟く。
オスカーはなんの飾り気もなくあっさり言った。
「きみのことを」
「・・・!」
訊かなかった方がよかった、そう言いたげにロザリアがむくれた顔でそっぽをむいた。
・・・ほんとうのことだぜ?信じてもらえないのが残念だ。
だが、オスカーはそう言うかわりにロザリアにささやく。
「・・・まだ夜明け前だ。もうひとねむりしよう。朝になったら、きみは朝食を作る。俺はコーヒーを淹れよう。ふたりで一緒に食卓について、一日の予定を立てよう。・・・きっと楽しい」
「・・・ええ、そうね」
無邪気な顔でロザリアは微笑んだ。目と目を合わせてお互いの瞳にある確かな愛情を感じながら、そっとくちづける。
緩やかな眠りに落ちて行きながら、ロザリアが聞こえないくらいの小さな声で言った。
「あなたを愛しているわ・・・」
しっかりとロザリアを抱きしめていたオスカーにはもちろん聞こえた。
意識が眠りの世界に沈みこんでいく前に聞こえたその声はいままで聞いたどの声よりもやさしく美しいものに思えた。
さながら人の心を震わせる歌姫の歌声のように。
「ディーバ」・・・俺の女神・・・。
新しい日がもうそこまで来ていた。
おわり。
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8.
海に近づいている筈なのに波の音がしない。
不思議に思いながら前を歩くオスカーの後ろ姿を見ていたら、ふいにオスカーが振り向いて笑いかけてきた。
「急にしおらしくなったな。なにを考えている?」
いやな人ね。せっかく素直になろうとしているのに。
ロザリアは少しむっとして言い返す。
「海に向かっているのに波の音がしないのはどうしてかしら。それを不思議に思っていただけですわ」
「ああ・・・。それはくれば分かる」
「それに、わたくしが知っている流氷って砕氷船に乗って見に行くものでしたわ」
「そうだな、その方が確実だ。だが、この海岸一帯は海に漂っていた氷塊が少しずつ小さくなったものが接岸するんだ。そのせいで海岸に近付いても波の音がしない。むしろしんと静まり返っているんだ。・・・ああ、そろそろ見えてくるだろう」
足元があぶない場所をやりすごし、平坦な砂地になってもオスカーはロザリアの手を離さなかった。ロザリアもオスカーの手を振りほどこうとはしない。
俯いていた顔をあげると視界に飛び込んできたのはロザリアが思っていたような海の色ではなかった。
それは流氷で埋め尽くされた海岸だった。なんと表現すればいいのだろう。
氷なら透明か白いものと思っていたが、それは・・・。
アイスブルー。
風の音以外なんの音もしない。目の前に広がっているのはまるで白い大地。
遥か彼方から海を渡ってくる巨大な氷塊はぶつかりあい徐々に小さくなってここへ辿り着く。
この海岸を埋め尽くしている流氷は波の音さえ呑み込んでしんと静まり返っている。
ごつごつとした巨大な氷塊だけではなく、さまざまな大きさの氷の欠片がひしめき合っている。海岸伝いに歩けばそのまま流氷の上に乗ることさえできそうだ。
「すごいわ・・・」
思わず手に力が入った。オスカーはロザリアの顔をみつめながら、ゆっくりと握り返してくれた。
ロザリアのロイヤルブルーの瞳をみつめるオスカーの瞳、それはまさしく凍てつく北の海を漂う流氷のアイスブルー。
あなたの瞳の色ね・・・。
どこまでも冷たい表情をみせるのにどこかやさしいと感じてしまう。その色に魅せられ引き込まれてしまう。
「沖の方が見えるか?流氷の途切れたあたりだ」
オスカーは遠い海の方を指差した。ロザリアはその指先が指し示す沖へと眼を凝らした。
「あそこで海の色が違っているだろう?波が流氷にぶつかって波頭を立てているからだ。いま、この海岸には波さえ届かない。・・・おかしな話だと思わないか?」
北の惑星と呼ばれるこの星の中でも最北端のこの土地から臨む、どこまでも冷たい暗い冬の海の色。沖で立つ波頭。想像したこともなかった、流氷に埋められた海岸。
不思議な静けさをたたえたこの場所にあなたとふたりきりでいる、この何物にも代えられないひととき。
ああ・・・。
あなたはこれをわたくしに見せてくれようとしたの?
ロザリアの脳裏に鮮やかによみがえる、記憶。
『他人と共有できる時間は限られているだろう。
だからこそ、一緒にいられるときは美しいものが見たい。・・・そう思ったのさ。』
・・・ああ、なにも変わっていない。あのときとおなじ。
燃える薔薇のような夕焼け空をふたりで見た、あのときと・・・。
オスカーの指がロザリアの頬をなぞった。
・・・?
隣にいるオスカーを振り仰ぐように見上げるといたわるようなやさしい顔でロザリアをみつめている。
瞬きをするとぽろぽろと涙が零れた。・・・ああ、涙ね。
眼を閉じるとあとからあとから熱い涙が溢れて来て胸が震えた。
・・・あなたを愛しているわ。
生まれた家も星ももう帰れない。女王になる夢さえ失ったわたくしにたったひとつ残されたもの、それがあなたへの想い。
行き場をなくした想いはどこへ行くの?
もうどこにも行けない・・・。どこへも辿り着けない。
「風がでてきた。車にもどろう」
オスカーはロザリアの正面に回り込み、軽く抱き締めるとすぐ体を離した。
あくまでも自然な抱擁。・・・まるで恋人同士みたい。
「行こう」
ふたたび手をつなぎ直して歩きだしたとき、いままで聞いたことがない音がした。
思わず振り返る。
「・・・不思議な音・・・」
押し寄せた流氷がぶつかり合い、擦れ合う、その不思議な音。
「あれが広い海原ならもっと派手な音がするだろうな。流氷がもっと巨大な塊で、海が大きくうねっていれば、ぎしぎしと軋むような音がするそうだ」
ロザリアはいま聞いている音に耳を澄ます。オスカーが説明してくれたような音だとは思わなかった。
ロザリアは実際に流氷を見たことはなかったが、自然科学のビデオである惑星の流氷の記録を見たことがあった。陸地と見まがうような巨大な氷塊が海に落ち、スローモーションのように海面に沈みこみ、ゆっくり浮上してくる。嵐のような荒れた冬の海を漂う流氷がぶつかり合い、お互いを持ち上げ、 せめぎ合う、その音。
・・・なにかに似ている。そう思った。・・・そう、これはまるで。
「・・・まるでイルカの声みたい」
求める答えに行きつき、ロザリアはぱっと顔をあげてオスカーに無邪気な笑顔をみせた。
オスカーは満足そうに微笑み、ああ、そうだな、とロザリアに同意した。
「強い風が吹きつけると沖で海面を揺らし波を起こす。その絶え間ない連鎖が次第に大きな波となって海岸に打ち寄せた流氷を持ち上げているんだ。幾度となく繰り返しているあいだにこの海岸はシャーベット状になるらしい」
「そうね、氷は溶けるもの」
「流氷は春の訪れを告げる、北の海からの使者、というらしい。なかなか風流な言い草だと思わないか」
「春の訪れ・・・、そう」
なにげなく口にして初めて気がついた。冬のあとには春がやってくる。北の惑星と呼ばれ雪に閉ざされたこの星にも春が訪れる日がくるのだわ。
それなら・・・いつか。
ロザリアは少し前を歩くオスカーの横顔を見ながら思った。
このやり場のない想いにも終止符を打てる日がくるのかしら。
胸の痛みを感じることなくただ懐かしい思い出として、まるでアルバムのページをめくるように眺める日がくるのかしら。
そうね、いつか。
そうなれば、いい。
9.
オスカーは地図を確認して一番近くの町にある食糧店に寄った。
「料理はできるか?」
「え、ええ。簡単なものならひととおり」
「そいつはよかった。実はこの近くにホテルはない。貸別荘があったからそこを予約してあるんだが、今夜の食糧を調達しておこうと思って。俺はキャンプ仕様のメニューなら作れる。ワインとパンとなにかあったまる料理があればなんとかなるだろう?」
それはそうですけど、と返しながらなんだかおかしいわ、とロザリアは思った。
ここへ来たのは公務のはずなのに。
なのに最初からオスカーのペースでことを運ばれ、まるで観光に来たカップルのようにふるまっている。
わたくしらしくなくあなたの前でも素直になろうとしたり・・・。
それでも悪い気はしない。
「それならコーヒーも要りますわね。あと卵とベーコン、明日の朝食もお忘れなく」
オスカーは口の端に笑みを浮かべる。
「了解。デザートはなにがいい?フルーツか、それとも?」
ロザリアもにっこりと微笑んで言った。
「ここでは酪農が盛んだと聞きましたわ。ぜひ、アイスクリームをお願いします」
まるでピクニックかままごとのようね、とロザリアは思った。
がっしりした木造りの山荘はまるで白雪姫のお話にでてくる七人の小人が住んでいる家のようだわ、と思った。
管理人は無愛想な顔をした老人だったが、オスカーとロザリアが来るまでの間に暖炉に火を入れ部屋を暖めてくれていた。
オスカーが持っていた荷物を有無も言わせずその手に引き取り、部屋に運び込んでくれたことから、きっと言葉や態度に表せないだけで、とても働き者で、人に対して気を遣える人なのだろう。
簡単に部屋や台所の説明をすると「冷蔵庫にわしの育てた牛の乳が入っているから温めて飲むといい。ぐっすり眠れる」と言ってくれた。
「まあ。ありがとうございます。たのしみですわ」
ロザリアがうれしそうに礼を言うと無愛想だと思っていた老人の顔がくしゃくしゃになり、びっくりするほど人の良さそうな笑顔になった。
・・・ああ、この人は笑うとこんな顔になるのね、こんな厳しい自然の中で暮らしていると顔つきも厳しくなるのかと思っていたのが申し訳ないわ。
つられて笑顔になったロザリアをオスカーがおかしそうに見ていた。
この山荘の裏の牧場を越えたところに住んでいるという老人が自宅に帰ってしまうと、ロザリアとオスカーは一緒に食事の支度をした。
ポトフを作るつもりだったがすね肉を煮込む時間を省略し、大きめのソーセージで代用した。
オスカーは器用にナイフを使ってじゃがいもの皮を剥いていた。
「お料理をなさるとは思いませんでした」
ロザリアが正直に言うとオスカーは苦笑した。
「父が休暇をもらったときはキャンプに連れて行ってくれた。野外での食事はもっぱら男の担当だったな。おかげで料理の腕は上達したし、母が喜んでくれるのもうれしかった」
「仲のいいご家族だったのね。・・・このチキンはどうなさるの?もう塩コショウがしてあるみたいですけど」
「ああ、それはダッチオーブンで焼くだけで食べられる。手間もかからないで、しかもうまい」
「男の手料理、ですわね。手際がいいのも腕のうちですものね」
しみじみと楽しかった。
ふたりで食事を作る、ただそれだけでこんなにも楽しいなんて。口にする話は他愛のない軽口なのに、かけがえのない貴重なものに思えた。
・・・リモージュ。
あなたはいまなにをしているのかしら。なにを思っているのかしら。
あなたの思惑が分からないまま、それでもわたくしはこの時間が少しでも長くつづいてくれることを願っている。
あなたにお礼を言わなければならないわね。
そしてなによりもごめんなさい、と言わなければ。
・・・いまだけよ。
明日にはわたくしは女王補佐官にもどる。だから、許して。・・・いまだけだから。
ふたりで食べた食事はおいしかった。
ふたりで作ったポトフとチキンのグリル、全粒粉のパン。それから管理人の老人からもらった自家製のチーズ。
ワインを開け、ふだんなら話さないような些細な話題でも楽しかった。
リクエストした濃厚な味のアイスクリームを味わったときには思わずはしゃいでしまったほど。
ふたりで後片付けをしたあとはもう満ち足りた気分でいっぱいだった。
素直になるのもいいものね・・・。
わたくしがこんなこと考えていると知ったらあなたは笑うでしょうけど。
暖炉に新たな薪をくべ、オスカーは床に敷かれた絨毯に腰を下ろした。
「ロザリア」
「・・・はい?」
「こっちに来てくれ、話がある」
ロザリアはなんの疑問も持たず、オスカーに言われるままその正面に座った。きっと明日のスケジュールのことね、と思った。
「訊きたいことがある、正直に答えてくれ」
「・・・え」
オスカーの表情に不自然なものはなかった。率直に質問を投げかけている。
だが、次の言葉を聞いたときロザリアは激しく動揺した。
「女王候補だった最後の日、きみはどこにいたのか、教えてほしい」
・・・!
「・・・どう、して」
どうしてそんなことを聞きたいの?とその眼は言っていた。
ロザリアの指がぎゅっと握りしめられた。いつもまっすぐ人をみつめる青い瞳はゆっくり逸らされた。視線は内心の動揺を悟られないようオスカーを見ない。
「ずっと気になっていた。だがきみは俺を避けていたから話をするどころじゃなかった、そうだろう?」
「そんな、避けているなんて・・・、」
・・・うそだわ。ずっと逃げ回っていた。自覚はあった。
「きみは嘘をつけない。それぐらい知っている。あの日きみは寮の部屋にいなかった、俺はそれを知っている。だが、どこにいたのか、なにをしていたのか、それを教えてほしい」
「・・・知っている・・・?どうして、あの日あなたはリモージュと一緒にいたはずでしょう、どうしてわたくしが・・・」
・・・!
思わず口にしてはっとなった。オスカーの眼が眇められた。
「リモージュ・・・?なぜきみがそれを知っている」
ロザリアの唇が真一文字に結ばれた。・・・言えない。
後ずさりするように身を引いたロザリアの腕をオスカーが捉えた。決して強い力ではなかったがロザリアは怯えた。
「きみはなにを知っている?たしかにリモージュは俺のところへ来た。だが、俺がリモージュを寮へ送って行ったとき、きみは寮の部屋にいなかった、そうだな?」
「どうして・・・」
あえぐようにロザリアがつぶやいた。オスカーははっきりそのアイスブルーの瞳に厳しさを滲ませて迫ってくる。
「・・・ルヴァか?」
「・・・え?」
いまオスカーはなんと言った?
その言葉の意味が分からない。
・・・ルヴァ・・・?
どうしてここでルヴァの名前が出てくるの・・・?
「な、なにを言っているの、・・・オスカー、あなた」
ロザリアは混乱した頭で懸命に考えた。
オスカーはあの日、リモージュを寮に送ってきた。そしてわたくしが寮にいないことを知った・・・、待って、おかしいわ。
ロザリアの疑問を先取りするようにオスカーが言う。
「きみの部屋を訪ねたとき、ばあやさんが出てきた。きみが部屋にいないことを知って驚いていた」
そうだったの。それは分かった。でも、いまの言葉の意味は・・・?
それに、なぜオスカーがわたくしの部屋を訪ねて来たのか、なにか理由がなかったらおかしい。
だって、リモージュがあなたのところへ訪ねて行ったのは夜だったんだもの。
いくらあなたでもレディの部屋を訪ねるべき時刻はおわかりでしょう?
ぐるぐると考えを巡らせていたロザリアの顔を見ていたオスカーが、はぁ、と長いためいきをついた。
「あのなぁ・・・」
「・・・」
まったく分かっていない。・・・このお嬢ちゃんならしかたないか。
だが、ずっと待つばかりだったのにやっと手にした機会を逃すつもりはない。
オスカーの瞳が許しを乞うようにロザリアを見ている。
女王候補の時代には呼ぶことがなかったきみの名前を俺は今日初めて口にした。
そのことに大きな意味があるのをきみはまだ知らない。
なにも気がつかないきみに触れるのは罪だろうか。だが、それでも。
「・・・逃げないでくれ」
え、と訊き直そうとしたらそのまま息も出来ないくらいきつく抱き締められた。
「オ、ス・・・」
「いまだけでいい、俺のことだけ考えてくれ」
いつもなら余裕ありげに聞こえる声はせつなげに掠れていた。
いまだけ?
じょうだんじゃないわ、あなたのことを考えないときがあると思っているの?
人の気も知らないで。
どこがプレイボーイなの、女性の心を読むことくらい簡単じゃないの、そうでしょう?
・・・馬鹿。
なぜ涙なんて出てくるの。あなたのせいよ。
わたくしは明日になったらいつもの顔に戻る。
優秀と誰もがうわさする女王補佐官に。誰に対しても公平に接するのよ。
だから今日だけ素直になってあなたの側に居たかったのに。たったいまあなたがぶち壊した。
ひどいわ・・・!
肩を震わせて涙を流すロザリアを離すまいとオスカーはさらにきつく抱き締めた。
10.
どちらも押し黙ったままふたりは動かない。
時計のないこの家にはときおり暖炉の中の薪がはぜる音しか聞こえない。
お互いの心臓の音がやけに大きく響いている。
まだ涙は乾いていなかったがロザリアはぼんやり考えていた。
・・・へんね、これって、なんだか痴話げんかでもしているみたい。
だいたい、プレイボーイを気取るならもうちょっとスマートにできないのかしら。
冷静になってよぉく考えてみて。さっきのわたくしたちのやりとりって、どこかおかしいわ。
・・・その前に。
「オスカー、少し苦しいのだけど」
ロザリアはようやっとのことで息を継ぎ、オスカーに訴えた。
「離して」
「いやだ」
「・・・じゃあ、少しでいいから力をぬいて」
「・・・逃げないか?」
ちょっとの間、ロザリアは考えた。逃げると言ってもここは聖地から遠く離れた北の惑星。
それも首都から車でたっぷり二時間もかかる北の果て。
あたりに見える民家はここの管理人をしているあの老人の家だけだ。あとは雪ばかり。
いったいどうやって逃げるって言うの?
ああ、また話がずれている。どうして?
・・・もう。
ロザリアはオスカーの背中に手を回してしっかりと抱きついた。日頃の鍛錬で鍛えた体は筋肉質で引き締まっている。・・・大きな背中。
ぴく、とオスカーが微かに体を強張らせた。
「これでいい?」
逃げないことを証明するためにそうしたのに、オスカーはなぜかうろたえている。
大きなためいきをつき、腕の力を緩めロザリアの肩口に頭を乗せた。
「オスカー・・・?」
「勘弁してくれ・・・」
きみは俺の忍耐力を試しているのか?・・・まさか。
ロアリアは眉を寄せて考えた。
・・・わたくし、なにかおかしなことをしたのかしら。またオスカーの腕の力が増したような気がする。
「オスカー?さっきのお話のつづきをしたいのだけれど」
「・・・ああ」
「どうしてルヴァの話になったのか教えていただける?」
「きみが夜、こっそり寮をぬけだしたりするからだ。理由を訊いても答えないし、誰かと逢っていたのかと思った」
顔をあげ、むっつりした表情でオスカーが答えた。
「付け加えれば、女王補佐官になって以来ずっと俺を避けているのに、ルヴァのところへは頻繁に通っていた。・・・違うか?」
・・・違わないけど・・・。
「でも、ルヴァのことは誤解だわ。ルヴァは物知りで、それにいろいろ気を使ってくれるし、穏やかで、いい人だと思いますけど・・・いいえ、わたくしはあの日ルヴァに会いに行ったりしなかったわ。・・・それに、どうしてあなたがそんなことを気にされるのか、分かりませんわ」
「まだ分からないのか?・・・まったく、きみはとことん鈍いな」
はあぁ、とオスカーが盛大にためいきをついた。
腕の中のロザリアがオスカーを見上げている。こんなときなのに、どこまでも純粋な眼。
いつもなら『鈍い』など言われたら即座に反応しそうなのに、どうしたんだ?
「めずらしいな、怒らないのか」
「・・・そうね、怒らないわ。とにかく今日だけは」
・・・今日だけは?
オスカーは訝しげに眉をひそめていたが、さきほどからはぐらかされていた質問の答えをもらうために、ロザリアにあらためて訊いた。
「ルヴァとデートをしていたわけじゃない、というのは信じよう。だが、夜遅い時間にどこに行っていたのか、まだ答えていないだろう」
オスカーの背中に回されたロザリアの指に力が入った。オスカーを見上げていた眼は逸らされ、なにかに耐えるようにきゅっと唇を噛んでいる。
やがて小さくロザリアがつぶやいた。
「オスカー・・・。教えて、どうしてリモージュの手をとらなかったの?」
「そんなことを聞いてどうするんだ」
いま、自分とロザリア以外の話はしたくなかった。やっとルヴァのことを聞き出せてほっとしたばかりなのだ。
ロザリアの声は震えていた。オスカーの胸に顔を押し付け、感情を押し殺すようにぽつりと言う。
「・・・おねがい」
オスカーはロザリアの顔を上げさせようとしたが、ロザリアはいやいやをするようにますますオスカーの胸にしがみついた。
「・・・わかった。きみが想像したようにリモージュは俺に自分の想いを告げに来た。だが、俺には愛している女性がいた、ちゃんとリモージュにもそう言ったよ。リモージュはありがとう、と言った。それは見とれるくらいきれいな笑顔だった。たぶん、最初から分かっていたんだろう。俺の返事が欲 しかった訳じゃない・・・。女王になる前にすっきりしたいだけだと俺は思った。あとはさっききみに説明した通りだ。俺は寮まで彼女を送り届けた。・・・他に訊きたいことは?」
・・・胸が痛い。
淡々と事情を説明するオスカーの言葉に打ちのめされてロザリアは涙をこぼした。
愛している女性がいる、そうオスカーは言った。
それはリモージュじゃなかった。
・・・馬鹿ね、どうして気がつかなかったの。
わたくしは無意識の間に、あなたが愛する人はリモージュであって欲しいと願っていたのね。
だって、そうじゃなかったら耐えられない。
女王になったのがリモージュだから、わたくしは聖地に残りあの子を支えようと決めた。
どこまでも前向きでたくましく、ひまわりのように明るいあの子をいつのまにかだいすきになっていたから。
あの子があなたの心を捉えたとしても仕方がないと、そう思っていた。
・・・なのに。
どうしたらいいの。
こんなにもあなたをすきになってしまってーー。
あなたには愛する人がいるのに。
11.
声を押し殺してロザリアは泣いている。
オスカーはロザリアの髪に手をやり、そっと撫でる。
・・・また黙ってしまうのか。
きみの気持ちを知りたい。
ただそれだけを言いたいのにどうしてこんなに回り道をしなければならないんだ?
・・・だが、不用意に踏み込めばロザリアは貝のように心を閉ざしてしまうだろう。
それが分かっているから用心深くロザリアの警戒心を解こうとしてきたつもりだったのだが。
・・・うまく行かないもんだな。
きみは俺の言葉など信じようとしないだろう。どうせプレイボーイの常套文句と切り捨てるだけだ。
本音を口にしても信じてもらえない。それどころかむっとした顔で怒りさえする。
いったいどうしたらいいんだ?
・・・ああ、いっそのこときみの思惑など無視してこのまま浚ってしまおうか。
オスカーはしばらく考えてみて、その思いつきを却下した。苦い笑いがこみあげてくる。
・・・無理だな、きみの怒りを買うことは構わないが、軽蔑されるのは痛い。
まったく・・・、やっかいだな。
何回目かのためいきをつき、オスカーはロザリアの肩に手を置き、その顔を覗き込んだ。
泣き顔を見られないよう俯いたロザリアの顔を両手ではさんで上を向かせる。
まだ涙のしずくが乗っている長い睫毛にそっとキスをするとロザリアが震えた。
怯えさせないよう、やさしい声で言う。
「もう、いい。きみを泣かせたいわけじゃないんだ。・・・悪かった」
物分かりのいい男を演じるしかないだろう。
それでも避けられていた頃よりずっと、いい。
すくなくとも、きみが笑顔を向けてくれるようになっただけいい・・・そうだろう?
「あの管理人が置いて行ってくれたミルクを温めるから、一緒に飲もう。落ち着いたらゆっくりバスタブにつかって、今日はもう休むといい。明日は強行軍だからな」
オスカーはロザリアがホットミルクをゆっくり飲んでいる間に、バスタブに湯を張ることまでしてくれた。
熱いお湯にゆっくり浸かり、今日一日のことを思い出す。
この何か月もなかったような感情の波に襲われ、泣き顔まで見せてしまった。それも一度だけじゃなくて・・・。
・・・あなたのせいなんだから。
明日からどんな顔をしたらいいの。
もちろん、あなたは切り替えが上手だし、心の中でどんなことを考えていても相手に悟られないよう完璧なポーカーフェイスを保てる人だったわ。
問題はわたくしの方にあるのよ・・・。
大人にならなければ。そうでなければ明日からまた女王補佐官の顔にもどれない。
堅く閉ざした心の奥の部屋を護ることに必死で余裕なんてなかった。
・・・ああ、でも少しは気が楽になったかも知れない。あなたの前で涙をこぼすなんてみっともないと思ったけれど、心は軽くなったような気がする。
こんな風に胸の痛みも少しずつ和らいでいくのかも知れない。・・・時間がかかるとしても。
・・・オスカー。
だいじょうぶよ。もうこんな風に取り乱したりしないわ。
あなたにおやすみなさいと言ったらすぐベッドにもぐりこんで眠ってしまうから。
・・・「俺には愛している人がいる」・・・ええ、あなたは正直に言ってくれたもの。
だから、忘れるわ。
ロザリアは溢れだした涙を隠すように両手で湯を掬って顔にかけた。それでも胸の痛みは消えてくれなかった。
「オスカー、今バスタブにお湯を張っているから、あなたもさっぱりなさって」
ロザリアが声をかけるとソファに腰かけていたオスカーが顔をあげた。
「ああ、ありがとう」
オスカーは酒を飲んでいたらしく、氷が入ったグラスに琥珀色の液体が入れられていた。
傍らに置かれているボトルには見慣れないラベルが付いている。
そうね、わたくしに付き合ってホットミルクを飲んでくださっただけで、あなたにはこっちの方がお似合いね。
そう思うと少し癪だわ・・・。
ええ、あなたは大人ですものね。
子供だと何度言われたか覚えていないくらい。でも、子供だって傷つくのよ。根に持つくらいね。・・・そうよ、あのときだって。
突然思いだした言葉に、あのときと同じ痛みが襲いかかる。思い出すたび胸を締めつける、あの痛み。
グラスをテーブルに置き、立ち上がり、髪をかきあげたオスカーの姿にどきりとする。
「寝室の暖房はオイルヒーターだからそのままつけていた方がいい。たぶん、朝方冷え込むだろうからな。俺を待たなくていいから、体が冷えないうちにベッドに入るんだ。・・・おやすみ」
そっけなく浴室に向かうオスカーにロザリアは声をかける。
「あの、わたくしも一杯頂いていいかしら」
「・・・きみが?」
「そうよ、いけないかしら」
オスカーは疑わしそうに顔をしかめた。
「今夜はワインも空けたし、やめた方がいいんじゃないか。・・・ああ、寝室のことなら心配しなくていい。俺はここで寝るから」
ロザリアの眉が寄せられた。
「どうして?」
ここには寝室がひとつしかないのは知っていた。管理人の老人が荷物を部屋に運び入れてくれたときから。
「ベッドがひとつしかないなら仕方ないけど、ここの寝室はツインになっていましたわ。ちゃんとベッドがあるのにこんなところで寝る理由はないでしょう?」
オスカーはいささか困ったような顔をしている。ロザリアからこんなことを言われるとは思っていなかった。
「さすがに嫁入り前のきみが俺と同室なんてまずいんじゃないかと思っただけだ。・・・気を使わせてすまない」
だが、オスカーのその言葉に対してロザリアが抱いたのは怒りだった。
青い瞳にきつい色が宿る。
「あなたにそんなことを考えていただかなくてもけっこうよ!こんな寒い冬の日にここで眠るですって?わたくしのせいで風邪をひかれる方がよっぽど重大な問題だわ、そうじゃなくって?」
オスカーは眼をまるくしてロザリアをみつめている。なぜそんなに激昂しているのか分からなかったからだ。
だが、そんなオスカーを見ていてますますロザリアはいきり立った。
「お忘れになったの?あなたがそうおっしゃったのよ。きみは俺の守備範囲に入っていない。きみのようなお嬢ちゃんに手を出したりしない、安心していい。・・・そうおっしゃったじゃないの!!」
オスカーは固まったように動かない。ロザリアの怒りの大きさに驚いたのもあったが、そんな些細な自分の言葉をきっちり覚えていることに戸惑っている。
「・・・え?」
自分の言葉に追い詰められるように感情が昂っていく。オスカーが不思議そうな顔をしているのも感情を逆なでした。
・・・人の気持ちも知らないで!
「あなたにとってわたくしは妹のようなものなのでしょう?変な気をまわさないで!どんなにわたくしがあなたのことをすきでも、望みはないと教えてくれたのはあなたじゃないの!!」
ロザリアの青い瞳に大粒の涙が盛り上がってくる。胸が痛い。
いままでずっと隠してきた気持ちが抑えようもなく溢れだして、止めることができない。
「どんなにあなたがやさしくしてくれても、一人前の女性としては扱ってくれない。・・・教えてあげるわ、あなたが訊きたかったことよ。女王候補だった最後の日、わたくしはあなたの私邸の前にいたわ。だからリモージュが来たのを知っていたのよ。望みはないと知っていたのにわざわざあなたに振 られるために、あそこにいた。どう、おかしいでしょう?・・・馬鹿馬鹿しくて涙が出るわ!」
オスカーは呆然として立ち尽くしていた。ロザリアの眼からぽろぽろと真珠のような大粒の涙がこぼれ落ち、頬を濡らしてゆく。
オスカーはゆっくりとロザリアの方へ近づいていく。ロザリアの口から出てくる言葉を信じられないような思いで聞いていた。
「・・・ずっと俺の私邸の前にいたのか」
「いいえ、リモージュがあなたの私邸に入って行くのを見ただけで充分だった。だって、わたくしはあなたはきっとリモージュの気持ちを受け入れると思っていたんだもの。どう、気が済んだでしょう。それともまだなにか訊きたいことでもおあり?」
ロザリアはきっと自分がなにを口走っているのか分からないままでいる。
それを知っていながらオスカーは質問した。ずっと知りたいと思っていた。じりじりとロザリアを追い詰めながら逃げ場をなくすためにもう一歩。
「・・・そのあとは?」
オスカーの手がそっとロザリアの指先に触れた。
「宮殿のテラスにいたわ・・・」
宮殿のテラス・・・?
オスカーの脳裏になにかひっかかった。・・・もしかしたら。
ロザリアはオスカーの手の感触に怯えるように身を引いた。だが、すでにしっかりと両手を握りこまれていて振りほどくこともできない。
オスカーは微笑んでいた。アイスブルーの瞳に抑えきれない喜びをたたえて。
ロザリアは真っ赤になった。
・・・わたくしったら!いまなにを口走ったの?ああ、どうしたらいいの。もうオスカーの顔を見られないわ。
12.
てっきり笑いだすか、からかわれると思っていたのにオスカーはずいぶんうれしそうな顔をしている。・・・どうしてそんなにやさしい目で見ているの?
いたたまれない思いでロザリアは顔を逸らした。
「ロザリア」
手を掴まれているせいで顔を隠すこともできない。
「こっちを見てくれ」
いまいましいくらい魅力的な声。逆らえない自分に腹が立つ。
そろそろと眼をやるとぎょっとするほどオスカーの顔が間近にあって息を飲んだ。
「テラスというとあれか?・・・きみと一緒に夕陽を見た・・・?」
絶対分かっているくせに。これ以上わたくしに恥をかかせるつもりなの?
なかば自棄になって言う。
「ええ」
オスカーの微笑みが深くなる。
「俺のことを思って泣いてくれたのか?・・・光栄だな」
・・・なんて人なの!意地が悪いのは知っていたけどよりによってこんなときに茶化すなんて!!
ぱっとロザリアの顔がオスカーに向けられた。口を開こうとして大きく息を吸い込んだとき唇の端にちゅっとキスされた。
「・・・!」
「聞いてくれ。きみに言いたいことがある」
「な、なんですの」
両手で頬をはさまれ瞳を覗き込まれた。どきどきと心臓の鼓動が速まる。
アイスブルーの瞳が初めて見る熱情で揺れている。心をとろけさせるあの低音がロザリアを追い詰める。
「ロザリア・・・。きみを愛している」
息も止まる。・・・嘘でしょう。
「だって・・・」
だって、あなたには愛している人がいるって、そう言ったじゃない。
「・・・まったく、察しの悪い・・・。自分のことだとは思わなかったのか?」
「だから、あなたがいけないのよ!わ、わたくしがどんな気持ちでいたか、なんにも知らないくせに・・・」
「ああ・・・、そうだな。あやまるよ。俺が悪かった。・・・許してくれるか?」
・・・ずるい。
いつもなら絶対そんな言葉を言わないのに、今日はやけに素直なのね。・・・いいえ、今日は何回か聞いた気がする。どうしてかしら。
・・・ああ、わたくしもオスカーのことは言えないわ。いつもけんかしたとき先に折れてくれるのはオスカーだったもの。
それに、決めたじゃないの。今日だけは素直になるって。
「ええ、もういいわ。・・・許してさしあげます」
しおらしく許しの言葉を口にしたロザリアはまだ涙のあとが残っている顔をゆっくり笑顔に変えた。
オスカーはほっと安堵のためいきをついた。自分でもおかしいくらい緊張していた。
「・・・よかった」
そっと瞼にキスをされた。
思わず身を硬くしたロザリアの背にオスカーの腕が回された。
涙のあとが残っている頬にキス。
きゅっとロザリアの指がオスカーの服を掴んだ。
震えている唇にやさしく触れるだけのキス。
「もう・・・離さない」
息を詰めていたロザリアがあえぐように唇を開くとキスは深いものになってゆく。
触れるだけのやさしいキスから、唇をそっとはむように何度も繰り返すキスへと。
慣れないロザリアが戸惑っているのを宥めるように、頬にもそっとキスを落としていく。
何度も襲ってくるめまいのような感情の波に浚われそうになり、ロザリアは怯えた。
・・・だめ・・・!
立っていられなくなりそうでオスカーの背中にしがみついた。
くぐもった吐息だけがふたりの間に落とされた。
長いキスのあと、ようやく解放してもらったロザリアは眼を開けてオスカーを見た。そしてすぐ後悔した。
女性をたぶらかす甘いマスク。その顔にはっきり誘惑の色を滲ませて笑いかけてくる。
「・・・どうした?」
・・・言えない。
キスの間に考えていたことを悟られるくらいなら死んだ方がましだわ・・・!
自分でも顔が赤くなっているのが分かってしまい、救いを求めるようにうろうろと視線を彷徨わせているとオスカーが吹きだした。
「だいじょうぶだ。やましい気分はこっちも同じだからな。・・・さて、バスルームを見てくるよ。ほったらかしでいたから湯が溢れているだろう」
オスカーはさらりとそう言ったが、その姿がバスルームに消えたあとロザリアにもその言葉の意味が分かって耳まで真っ赤になった。
相手の方が一枚上手なのは充分分かっているが、それでも腹が立つ。余裕たっぷりなオスカーにこうしてやられてしまうのはやっぱり不本意だ。
いたたまれない思いでソファに腰掛けたらさきほどオスカーが飲んでいたグラスに気がついた。
ちょうど喉が渇いていた。
・・・氷があらかた溶けてしまっている。これじゃ薄いかしら。
ロザリアはボトルから酒を継ぎ足し、グラスいっぱいになった琥珀色の液体を一気にあおった。
・・・なにこれ。苦い。
味そのものはおいしかったが、どうもこれは水で割った方がよかったかも知れない。
口の中や喉のあたりが熱い。
でもなんだかいい気持ち。そういえばガイドブックに書かれていたわ。冬が厳しいこの惑星では体を温める意味もあって、アルコール度が高いお酒が好まれると。
なるほどね・・・。
急速に酔いがまわり、頭がぐらぐらして来た。
・・・いけない、これは思っていたより強いお酒みたい。
立ち上がろうとしたが立てなかった。
ああ、なんてこと。またあなたに子供扱いされてしまう。
オスカーがやめた方がいい、と言っていたのはこういうこと・・・?
ロザリアが覚えているのはそこまでで、ソファに座りこんだまま意識がなくなったらしい。
13.
寝返りを打とうとしてなにかにぶつかった。
まだ覚めきっていない眠りの中で手を伸ばして触ってみたらほんのり温かい。でも毛布じゃない。だって、硬いもの。
眠い目を瞬かせて見ていると徐々にピントが合ってそれがなんなのか分かってロザリアは目を見張った。
どうして・・・?
驚きのあまり声も出ない。
そのまま固まっていると腕が伸びてきて抱き寄せられた。
・・・!
「起きたのか・・・。気分はどうだ。吐き気はしないか?」
「ど、え、・・・吐き気ってなんのこと?」
オスカーはうろたえているロザリアをしっかり抱き抱えて離さない。その眼に笑いを含んでロザリアを見つめている。
「覚えていないのか。まぁ、無理もないか・・・。きみが飲んだのはいわゆるスピリッツというやつだ。あれはこの惑星でもアルコール度が高いことで有名な酒なんだ。きみのような酒に弱い女性が飲むようなものじゃない。いったいどれくらい飲んだんだ?」
オスカーの説明に恥ずかしさに顔が赤くなる。
「テーブルにあったグラスに一杯・・・」
オスカーの眉が大袈裟に上がった。すぐにおかしそうに笑いだし、肩を揺らしている。
声をたてないようにしているのは分かったが、その腕の中にいるロザリアにも振動が伝わり、むっとした。
ロザリアが機嫌悪そうに押し黙ったのに気がつき、オスカーは口許を引き締めて笑いをこらえた。
「戻ってきたらきみが酔って眠りこんでいたから、ベッドに運んだ。ボトルの中身がだいぶ減っていたからな、推して知るべきと言うやつだな。念のために言っておくと俺はきみに不埒な真似はしていない。・・・安心したか?」
「・・・」
「・・・ん?なにか言いたそうだな」
顔を見られるのがいやでオスカーの胸にしがみつく。
「じゃあ、どうしてあなたと一緒のベッドにいるのか、教えていただきたいわ」
ポツリとこぼした声に拗ねたような響きがあった。
オスカーは苦笑し、ますますロザリアを抱く腕に力を込めた。
「それも覚えていないのか・・・。残念だな」
なんとなく訊かなかった方がよかったような気がする。ロザリアはいやな汗をかきそうで口を結んだ。
なにか取り返しのつかないことをしてしまったんじゃないのかしら・・・?
だが、いくら考えても記憶は戻ってこない。
どうみても楽しんでいるとしか思えないオスカーにもう一度訊くのもいやだわ。
ぐるぐると考えを巡らせているロザリアを見ながらオスカーは笑いをかみ殺している。
特別なことはなかった。
紳士らしくロザリアを寝室に運び、ベッドに入れたまではよかったのだが、ロザリアがどうしてもオスカーの手を握りしめて離してくれなかったのだ。
オスカーはただそれだけのことがうれしかった。
ロザリアが無意識のうちに自分の手を求めてくれた、それだけのことが。
きみは知らないだろう。
ずっときみに避けられていたせいで、らしくもなく周りの人間に嫉妬していた。
とりわけきみの信頼を得て誰よりも近くにいたルヴァに。
女王試験が終わったあの日、きみになにがあったのか。それさえ分かればなにか変えられるのじゃないかと思っていたんだ。
・・・俺の言葉できみを傷つけていたことにも気づけないまま。
きみには悪いが、正直に言うとうれしかった。
俺の言葉できみの心を動かすことができるなんて思ってもみなかった。
オスカーは満ち足りた思いでロザリアを抱きしめる。
・・・あきらめてくれ。
俺はあくまでも利己的にきみを求める。
ルヴァのように己の気持ちを押し隠してもきみを尊重するような愛し方はできない。
この腕に閉じ込めて、離さない。
きみのその青い瞳に映るのはいつでも俺であってほしい。
誇り高いきみが隠そうとやっきになっている、やわらかな心、素直なきみをもっとみせてくれ。
きみに避けられていたあいだ、俺がどれほどきみに恋い焦がれていたか、教えてやろう。
きみが俺のことをすきだと言った以上、もう遠慮はしない。
・・・だから、あきらめてくれ。
そのかわり、息も詰まるほどの愛できみを絡め取り、しあわせにする。
「・・・オスカー、なにを考えてらっしゃるの」
腕の中でロザリアが呟く。
オスカーはなんの飾り気もなくあっさり言った。
「きみのことを」
「・・・!」
訊かなかった方がよかった、そう言いたげにロザリアがむくれた顔でそっぽをむいた。
・・・ほんとうのことだぜ?信じてもらえないのが残念だ。
だが、オスカーはそう言うかわりにロザリアにささやく。
「・・・まだ夜明け前だ。もうひとねむりしよう。朝になったら、きみは朝食を作る。俺はコーヒーを淹れよう。ふたりで一緒に食卓について、一日の予定を立てよう。・・・きっと楽しい」
「・・・ええ、そうね」
無邪気な顔でロザリアは微笑んだ。目と目を合わせてお互いの瞳にある確かな愛情を感じながら、そっとくちづける。
緩やかな眠りに落ちて行きながら、ロザリアが聞こえないくらいの小さな声で言った。
「あなたを愛しているわ・・・」
しっかりとロザリアを抱きしめていたオスカーにはもちろん聞こえた。
意識が眠りの世界に沈みこんでいく前に聞こえたその声はいままで聞いたどの声よりもやさしく美しいものに思えた。
さながら人の心を震わせる歌姫の歌声のように。
「ディーバ」・・・俺の女神・・・。
新しい日がもうそこまで来ていた。
おわり。
たぬきの糸車さんのブログは、こちら
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