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乙女ゲーとか映画とか書物を愛する半ヲタ主婦。
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アンジェ仲間の、たぬきの糸車さんから、
すてきなオスロザ創作を頂きましたv

長編なので、前後編に分けて、掲載します。
がっつりご堪能下さい!

拍手





「Diva」〜前編〜    作:たぬきの糸車

 1.

 主星の空港の受付カウンター前に着いたとき、ロザリアの乗るシャトルの案内はまだ始まっていなかった。
朝早い便だからもっと閑散としているのかと思っていたが、意外に人が多い。
・・・みんなどこへ行くのかしら。
大きな荷物を持ってひと固まりになっている団体客やビジネススーツに身を包んだサラリーマン風の男性。それぞれに目的地があってその旅行の意味があって。
おそらくここから旅立ったあと、二度と会うこともないだろうその人々の旅が安全なことを願う自分がなんだかおかしい。
よかった、時間に余裕をもって来て。
ほっとした思いでベンチに座る。荷物はできるだけ少なくしたつもりだが、それでも大きなスーツケースにいっぱいになってしまった。

これからロザリアが行こうとしている星は北の惑星と呼ばれている。標高が高い山が数多くあり、冬には雪に閉ざされる土地だと聞いている。
だが、遅い春が訪れると緑にあふれ、短い夏には希少な高山植物が咲き、トレッキングを楽しむ観光客がやってくることで知られている。
・・・観光でないことが残念だわ。まだ冬の終わりで観光シーズンにはいっていないけれど、風光明媚な土地ですもの、ゆっくり街を歩くだけで楽しいに決まってる。
観光ガイドを彩っていた町並みや美しい湖、おとぎ話に出てくるような木の家を思い浮かべ、ロザリアは束の間想像の旅に出た。
けれど。
瞬く間に現実に引き戻され、思わずロザリアは軽いためいきをついた。

二日前、そろそろ執務も終わるという時間になってリモージュが突然言い出したのだ。
「あ、ロザリア。ごめん、すっかり言い忘れていたんだけど、北の惑星に行ってほしいの」
「・・・は?」
「あのね、北の惑星の首都で建国記念の祝典があるの。この前招待状が来てたのをすっかり忘れちゃって。だから、ロザリア、行って来てくれる?」
「・・・なんですって?」
ロザリアの眼がいささか危険な色を見せる。さすがにリモージュは一瞬ひるんだが、ぐっと肩に力を入れ一気に言った。
「わかってる、ごめんなさい!こういうものはまずロザリアに見せて、確認をしなきゃいけない、でしょ?でも忘れていたんだもん!!それに、これはパスできないでしょう。聖地から正式なお使いを立ててお祝いのメッセージを伝えないと・・・、ね?」
言いたいことは山ほどあったが、ロザリアは怒りを抑え、ともかく話の全貌を掴まなければ、と冷静に判断した。
深呼吸をし、気を落ち着ける。・・・だいじょうぶ。
「・・・陛下、お話がございます。でも、今はまず確認しておかなければいけないことがありますから、あとで。それで、式典のスケジュールはどうなっていますの?わたくしはいつ出発すればよろしいのかしら」
ちら、とリモージュの緑の眼が上目づかいにロザリアに向けられた。怒らないで、と言いたげに。
「ええと。・・・あさって、かな」
ロザリアの形のいい眉が驚くほど上がった。今の言葉の意味を何回か反芻したあと、唇が声もなく動き、そのあとようやく意味のある言葉になった。

「・・・なんですって〜!?」


まったく、あの子ったら。

昨日は渡航手続きや留守にする間の申し送りなどで忙殺されていた。
それに公務で招待されたのだから、北の惑星について調べておく必要があった。
そこで王立図書館に立ち寄る前にロザリアはルヴァのところへ行った。博識なルヴァに必要な知識を授けてもらおうと思ったのだ。
惑星の成り立ちや自然について、その歴史について。またその産業や政治的な背景。
ああ、独特な風習がある場合もあるから、民族的なお話も聞いておかなくては。
そうなれば国民性の調査も大事ね。惑星を挙げての大規模な祝典なのだから、その場にあった話題も必要になる。それはあとで王立図書館であの惑星で発行されている雑誌を借りに行けばいい。
いつものロザリアなら自分で満足のいくところまで調べるのだが、今回はそうも言っていられない。
こういうとき、質問を投げかければ「ああ、それはですね・・・」と穏やかな表情とのんびりした声で解説をしてくれるルヴァはうってつけの教師役だと言える。
ただ、今回のように急を要する場合はいささか困ったことになる・・・、ルヴァの話はあれもこれもと多岐にわたってつい横道に逸れることが多いのだ。ロザリアはふだんならそれも含めて興味深く耳を傾けるのだが、今回はなんといっても時間がない。
・・・ごめんなさいね、ルヴァ。
それでもルヴァの豊富な知識のおかげでかなりの情報を得ることができた。

ルヴァのところへ行く前に王立図書館へメールを送り、幾冊かの資料とガイドブックを探してもらうように頼んでいたのでスムーズに貸出ができた。ガイドブックを借りたのは観光客でも分かりやすくその惑星の特色を説明してくれるからだ。

・・・あとはなにがあったかしら。

ばたばたと執務室に戻ろうとしていたら、運悪くオリヴィエに出会ってしまった。
そのあとはオリヴィエの執務室に連れていかれ、パーティに着て行くドレスを選ばされ、それに似合うアクセサリーを決めるまで離してもらえなかった。
・・・時間がないのに。
とは言えオリヴィエだって好意でやってくれているのだから、と思うと強く出ることもできずロザリアは我慢強く耐えた。
最後にオリヴィエが厳かに宣言したとき、ロザリアは思わず笑ってしまった。
「北の惑星はまだ冬なんだから、冷えないようにしないといけないよ。荷物が増えるけど、厚手のコートと手袋、あとストールもあった方がいい。おしゃれじゃなくってもしっかり防寒するんだよ」
まるでロザリアのばあやが言いそうな言葉にええ、ありがとう、忘れないように用意いたしますわ、と心から感謝して微笑んだ。
「美」を司る守護聖であるオリヴィエらしからぬ助言にはロザリアの体を気遣うやさしさが溢れていた。聖地の穏やかな気候に慣れているロザリアにとって、北の惑星の厳しい冬の寒さは想像以上だろうから、と。
そんなこともあって、ようやく解放してもらえたときには執務が終わる時間を大幅に過ぎていた。
(ロザリアの荷物が増えた理由はオリヴィエのアドバイスに忠実に従ったためだ。そしてロザリアはそのことを後悔しなかった)


守護聖が公務で聖地を出るときには専用のシャトルを用意するのだが、ロザリアは主星まで定期便の小さなシャトルを使い、そこの空港から一般の旅行客に混じって北の惑星へ渡航するルートを選んだ。
ほかに誰か同行するわけではないし、自分ひとりのために専用のシャトルをチャーターするのも気が引けた。それに、いきなりあさっての予定で、と言って専用のシャトルを用意させるのも・・・。
緊急事態ならまだしも、これは明らかにこちらのミスなのだ。

・・・はぁ。
だいたい、陛下宛ての親書はわたくしがチェックしていたつもりだったのに。
どこでそんなミスがあったのかとつい自分を責めてしまうロザリアだった。


 2.

考え込んでいたロザリアは行きかう人の足元をぼんやり見ていた。
足早に靴音を鳴らし近づいてくる人物に気がつき、目をやったとき聞きなれた声がロザリアの名前を呼んだ。
「さすがに早いな。俺も時間に余裕をもって来たつもりだったんだが」
ロザリアは眼を見張った。

なぜここにこの人がいるの?

「・・・オスカー」
眼をまるくしているロザリアに快活に声をかけてきたのは炎の守護聖、オスカーだった。
「どうして・・・」
あなたがここに、と言おうとして息を吸い込んだまま固まったロザリアに、こともなげにオスカーが言う。
「きみと一緒に北の惑星に行く。格式ばった式典にはパートナーが必要だろう?陛下からのご指名だ」
・・・なんですって?
ロザリアは一瞬頭が真っ白になった。そんなことリモージュはひとことも言っていなかった。なにを考えているの、あの子は!
フロアにアナウンスが流れた。
「ああ、手荷物の預け入れが始まったようだな。きみのぶんもやっておくから荷物をかしてくれ。・・・ん、どうした?」
いつもとかわらない態度のオスカーにロザリアは少し緊張を解いた。

・・・落ち着いて、ロザリア。今ここでパニックを起こしてもなんの解決にもならないわ。
オスカーに気づかれないようにゆっくり深呼吸をする。

「きみのチケットを預かっておく。手荷物のチェックに使うからな。それが済んだらコーヒーを飲む時間くらいあるだろう、あそこのカフェで待っていてくれ」
手慣れたようすのオスカーになんとなく安心して、ロザリアは持っていたスーツケースを預け、チケットを渡した。
背の高いオスカーの赤い髪が人ごみの中に紛れるのを見送ると大きなためいきが出た。
いつのまにか手を握りしめていたのに気がつき、力を抜くと指が震えていた。

・・・だめ、しっかりしなさい。あなたは女王補佐官でしょう、これは公務なのよ。
同行するのがオスカーであってもなんの問題もないでしょう?
震える指先を宥めるようにもう一方の手でつつみこみ、立ち上がる。
オスカーが言ったカフェテリアへ向かいながら思った。

・・・リモージュ、なにを考えているの?


さっきも思ったけどこんな朝早い時間なのに人が多い。カフェテリアの店員に席に案内してもらいながらそう思った。
ロザリアは店員がご注文はお決まりですか、と聞く声に丁寧に言った。
「まちあわせですの。オーダーは友人が来てからにしたいのだけれど、よろしいかしら」
感じのいい笑顔で受け答えをした店員が去ると、ほっとして窓の向こうに目をやる。

リモージュが新しい女王に即位して数か月経った。
あわただしい日々だったが、次から次へとやってくる執務をひとつひとつ片づけて行くのは意外におもしろかった。
はじめはただもう夢中で一日が終わったのだが、次第に執務そのものが興味深いものだと思えるようになった。先に片付けるべきものとあとまわしにしてもいいものの見極めも徐々にできるようになった。
個性が強い守護聖たちとの関係も日ごとによくなっているような気がする。
彼らのもつサクリアへの尊敬とそれぞれの個性を尊重したいと思うことで執務もやりやすくなった。
実にやっかいだと思うこともあるが、なんというか、・・・けっこうかわいいところもあるじゃないの、とひそかに思ったことは内緒の話。
リモージュの力強いサクリアが宇宙を安定させ、成長させている。それを肌で感じながらロザリアは彼女の補佐官として執務に励んだ。
リモージュは女王候補のときからなにも変わっていない。
おおきな緑の瞳を輝かせ、ころころと笑う。いつでも好奇心でいっぱいで、大胆な言動でまわりをぎょっとさせる・・・、歴代の女王がしていたように顔をベールで覆うことはしないでその姿を人々の前でみせることさえやりおおせたのだ。

・・・でも、ごめんなさい、リモージュ。わたくしの努力が足りなかったばかりに・・・。

それはロザリアの心の奥底でずっと抱えていた罪の意識のようなものだった。
女王候補のとき、リモージュにはすきな人がいた。
リモージュは言葉に出して言ったことはなかったけれど、ロザリアには分かった。
あの方の話をするときの瞳の輝き。ぽぉっと染まるピンク色の頬。
ごめんなさい、リモージュ。わたくしは知っていたの。女王候補としての最後の夜、あなたが寮をぬけだしたことを。
あなたが新しい女王に決まったと連絡があったあと、あの方のところへ行ったのを知っていたのよ。わたくしはきっとあなたが女王になることを辞退すると思っていたわ。
・・・なのに。
どうしてあの方の手を取らなかったの?
いいえ、一番の理由は分かっているわね。
・・・わたくしの力が及ばなかったから。わたくしが女王になっていればあなたは愛する人と一緒にいられたのに。


「ロザリア」

名前を呼びかけられてはっとした。
魅力的なよく響く声。カフェテリアの客たちがいっせいに振り返った。
長身で均整のとれた引き締まった体躯、燃えるような赤い髪に整ったマスク、そしてとりわけ印象的なアイスブルーの瞳。
顔で選ばれているのではと言われるほど守護聖たちはみな若く、容姿が整っている。
そのうえ常人にはない強大なサクリアをその身に持つ彼らはどうしたって目立つ。
・・・やっぱりこうなるのね。
客の大半の女性たちがまじまじと、あるいはこっそりとオスカーの姿を目で追っている。
いいえ、わたしはいまさら彼の魅力に惑わされたりしない。そうでしょう?
自分にそう言い聞かせ、ことさらなにげない風を装う。
いま、わたくしの名前を呼んでくれたのも、聖地ではない場所で女王補佐官と呼びかけるといろいろと不都合があるから。
そうよ、それだけなんだわ。
ロザリアは椅子に座り直し、背筋を伸ばすとオスカーにむかって軽く手を挙げてみせた。


飲み物が運ばれるとオスカーがふっと眼を細めた。カプチーノとロイヤルミルクティー。思わずどきっとしたロザリアにオスカーが笑いかけている。
「・・・どうかなさったの?」
「いや、思い出していただけだ。きみはいつもそれだったな」

・・・!

オスカーが言った短い言葉にも反応してしまう自分がいまいましい。
女王候補のころオスカーに連れ出され公園の傍のカフェテリアに行ったときのことを言っているのだとすぐ分かった。
あんまり根を詰めても効率はあがらないぜ、気分転換にデートしよう、となかば強引に誘いに来てくれた。
それがオスカーなりの気遣いだと分かってうれしかった。
お嬢ちゃんと呼ばれることはしゃくにさわったが、オスカーの軽口にむきになって言い返しているとがちがちに硬くなっていた心がほぐされていくのが不思議だった。
あなたもそうじゃないの。いつものカプチーノ。
そんなことさえ覚えている自分がおかしい。
・・・馬鹿ね、こんなことを考えている場合じゃないのに。

「事後承諾で悪いが、席を換えてもらった。急な命令で北の惑星の下調べもろくにできなかったから、機内できみから情報をもらえると助かる」
オスカーがチケットを差し出す。
オスカーは執務に対して真面目だ。
それは仕事の虫とまで言われるジュリアスから全幅の信頼を得ていることでも分かる。
オスカーに書類を手渡すとこちらから催促することもなく迅速に処理され、完璧な状態で提出される。それはロザリアが女王補佐官になって以来変わらない。
いつまでもあとまわしにしたままロザリアから小言をもらってやっと提出する一部の守護聖に見習ってほしいものだわ、と思ったことは一度や二度ではない。
「ええ、わかりましたわ。じつはわたくしも準備に時間をかけられなかったの。資料はここにありますから一緒に調べましょう」
よかった、だいじょうぶそう。
いつものようにふるまえそうだ。ロザリアはオスカーを前にしても落ち着いていられることに安堵し、やっと笑顔をみせた。
可憐な花を思わせるその表情にオスカーは軽く微笑み、カプチーノを飲んだ。

・・・やっと笑ってくれたな。


3.

 北の惑星の空港に着くとオスカーはてきぱきと行動した。
ターンテーブルから手荷物を探し出し、ロザリアが自分で持とうとしたスーツケースも引き取り先に歩きだす。
「こっちだ」
「・・・でも、タクシー乗り場はあっちだと書いてあるわ」
案内表示板をチェックしていたロザリアはオスカーに追いついてそう言った。
オスカーは横で歩くロザリアに顔を向け、簡単に説明した。
「レンタカーを予約してある。この惑星の主な交通手段は鉄道だと書いてあったが、いちいち駅まで移動するのも面倒だし、そのたびにタクシーを捕まえるのも手間だろう。・・・ああ、あそこだな」
ロザリアは困惑している。
・・・でも、そういえばビジネスクラスには特殊な通信機器が設置されていた。
資料を読んだあと、ロザリアにいくつか質問をしたオスカーはガイドブックや情報雑誌も一通り眼を通していた。そのあとオスカーが端末を操作していたのを見たし、あのときレンタカーを予約したなら納得できる。
それにオスカーはなにも迷うことなく行動している。不自然さもなく、押しつけることもない。なのになぜこんなにも不安になるのだろう。
慣れない土地でオスカーに主導権を握られることは別にいやではなかった。
そういう意味なら、冷静で怜悧な彼が判断することならまず間違いがないと安心していい。

ただ、戸惑っているだけ。・・・こんな風にオスカーと一緒にいることに。
ロザリアは心の底をのぞきこんでぎくりとした。
きつく唇を噛みしめて言い聞かせる。
いいえ、わたくしはなにも感じない。・・・もう決めたのだから。


駐車場に待っていたのはシルバーグレイのランドローバーだった。
オスカーがレンタカー会社の人間と話をして車のキーを受け取るのをぼんやり見ていたロザリアはとりとめなく考えを巡らしていた。
メカにうといロザリアでも、この車は野を越え山道を登りどこまでも走って行けそうな車種だと分かる。
母方の叔父がこの車のシリーズを好んで運転していたので、一度乗せてもらったことがあった。ハンドルを握りながら、なにも分からないロザリアにこの車の性能について滔々と語っていたのを思い出す。
なんとなくオスカーなら人目を引くようなスポーツタイプの車を選ぶのではと思っていた。
その方がらしいような気がしたのだ。
・・・でも、そうではないわね。

派手な外見とすべての女性に賛辞を贈るオスカーはその手のうわさに事欠かない。
実際にはどうなのかロザリアに分かるすべはなかったが、彼に憧れる女性が数多くいたからといって、不思議にオスカーに悪い評判がたつことはなかった。
なぜなのかと考えてみたことがあったのだが、ロザリアが下した結論はシンプルなものだった。
そう、オスカーは意外に飾り気がないのだ。
相手にこびることもなく、自然体でいるだけ。
女性に慇懃だといってもそれは過剰なものではなく、相手に対して礼をつくそうとする自然なものだった。
持って生まれた性格なのか、環境のせいか知らないけれど。
彼は質実剛健をモットーとする軍人の父を持ち、やさしいけれど芯の強い母に育てられた。つつましい、けれど愛情あふれる子供時代を過ごしてきたのだ。
オスカーによると、家は代々軍人の家系で、男は心身ともに強くあるべきだと教えられてきたそうだ。そして女性の笑顔を守ることはなによりも大切だとオスカーは言っていた。
自分にとって大切なものを守るために己の名誉をかけて戦う男であれ。それが家訓だったらしい。
オスカー自身が士官学校出身で、無駄をきらう実際家なのはその仕事ぶりでも分かった。
自分を意味もなく飾ることもしない。
自分に必要なものを知っている。
オスカーはこの惑星の起伏が多い道路事情を把握したうえでこの車を選んだ。
どこまでもオフロードに適した性能がありながら、その外観からは想像もできないほど重心が低く安定性を持ち、快適な高級乗用車並みの乗り心地を併せ持つ車種。
それはこのうえなくオスカーらしい選択だった。

オスカーが運転する車がハイウェイに乗り入れたとき、ロザリアは違和感を覚えた。
空港はその特殊性で(騒音がはなはだしいこと、広大な土地を必要とすること、万が一にも事故が起こった場合近隣に及ぼす影響が大きすぎることなど)ほとんどの場合主要都市から少し離れて建設される。この惑星の場合も同じだ。だから鉄道や車で移動するのは当然なのだが、ふと気がついたのだ。

「オスカー、どこへ行くつもりなの?」

建国記念の祝典は首都で行われる。だから当然向かうのは首都のはず。なのにハイウェイの標識が指示しているのはこの惑星の北の方だ。
「思ったより早く気がついたな」
オスカーがいたずらっぽく眼を細めた。さすが優秀な補佐官殿だ、と楽しげに笑う。
「このまま北上して海岸線まで行く。今の時期なら北の海には流氷がやってくるらしい」
「なんですって!?ここへは公務で来たのよ。観光に来たわけじゃないわ。あなたなにを考えているの!」
ロザリアが激昂するのにもオスカーはとりあわない。余裕ありげに口許を緩ませている。
「心配しなくていい。スケジュールの管理は完璧だ。このハイウェイの終点まで行って、そのあと一時間山道を走る。合計二時間で目的地に着くだろう。今夜の宿も手配済みだし、祝典は明日だろう?午後に記念式典と夜に晩餐会、最後に舞踏会。明日の午前中に出発すればだいじょうぶだ、ちゃんと間 に合う」

・・・あきれてものも言えないわ。

ロザリアがぽかんとしているとオスカーがさもおかしそうに吹き出した。
「きみのそんな顔はひさしぶりに見たな。・・・女王候補のときはもっと笑ったり、怒ったりしていたじゃないか」
ロザリアの頬が真っ赤になった。
なにか言い返そうにもなにも思いつかない。楽しそうなオスカーにますます顔が赤くなる・・・だめよ、もっと冷静になって!
完全にオスカーのペースに巻き込まれている。女王補佐官としての威厳もあっさり崩され、ロザリアはいたたまれない思いで唇をかんだ。
言い返せないのは日頃のオスカーの執務ぶりがいいからだ。
この人がだいじょうぶと言えばそれは単なるはったりではない。
危険な任務に赴くことが多いオスカーは細心の注意をはらってかつ大胆な行動をとることができる。
女王補佐官になってまだ日の浅いロザリアが太刀打ちできる相手ではない。
・・・認めるのはたいそうくやしいが。

ロザリアが口をつぐんでじっと前方を睨むようにしていると、オスカーがカーステレオのスイッチを入れた。
ラジオから流れて来たのは世界一美しいといわれるソプラノ歌手の歌声だった。
「・・・『ワリー』、ね」
思わずそう言っていた。
「・・・聞いたことがあるな・・・。オペラはくわしいのか?」
「いいえ、くわしいとはいえませんわ。でも、この曲は有名ですけどオペラそのものは滅多に上演されませんわね」
「充分くわしそうだが」
オスカーがアイスブルーの瞳をロザリアに向けた。
やっとふつうの会話ができてほっとしているのだ。オスカーだってわざわざロザリアを怒らせたいわけではない。
「以前映画を見ましたの。その映画のメインテーマがこの『ワリー』だったので覚えていたんです。主要人物として演技もしていた黒人歌手の歌声が素晴らしくて、見終わった後も頭の中で彼女の歌声が響いているような気がしたものでしたわ」
ロザリアは映画の記憶の余韻を楽しむようにうっとり眼を閉じて曲に耳を澄ませている。
イタリア語の悲哀を帯びた美しい歌声が車内を包む。

「『ワリー』の中でもっとも美しい曲として知られているこの歌は、主人公のワリーが生まれ育った家を去って遠くへ行く哀しみを歌うものですの。ちゃんと『さようなら、ふるさとの家』というタイトルがあるんですけど、オペラとしては滅多に上演されないので題名の『ワリー』がそのままこの曲の 名前として認識されているのですわ」
オスカーがハンドルを握ったまま笑いをかみ殺しているのに気がついてロザリアは話を切った。
なにか言いたいことでも、と言おうとしてやめた。オスカーがこちらに目をむけて笑いかけてきたからだ。
「いや、気を悪くしないでくれ。きみが女王補佐官になってからこっち、俺に執務以外の話をしたのは初めてじゃないかって気がしたから」
ロザリアは頬を赤らめた。
いいえ、そんなことは、と言うのは簡単だが言いたくない。

・・・それに、オスカーが言ったことは・・・、認めたくはないがほんとうだ。


 4.

 ロザリアは居心地悪く押し黙った。
言い訳しようにも嘘をつけないロザリアはなにも言えないのだ。それにへたな言い訳などオスカーには通用しないだろう。
だがオスカーはそれには触れず、鷹揚に微笑んだ。
「そう構えなくてもいい。きみを困らせたいわけじゃない。なんでもいいんだ、執務以外の話がしたかっただけだ。・・・そうだ、さっき言っていた『ワリー』の曲が使われていたという映画の話はどうだ?きみの感想を聞かせてくれ」
ロザリアはわずかにためらったあと、オスカーに微笑み返した。

・・・ええ、いいわ。あなたはいつもと変わらないままでいてくれるのね。
戸惑っているわたくしのことをさりげなく気遣い、気分をほぐそうとしてくれている。
そうね、わたくしも努力してみるわ、どこまでできるか少々不安だけど。

映画の内容を説明しようとロザリアはしばらく頭の中で整理をしていたのだが、やがて小さくためいきをついた。
「・・・むずかしいわ。意外に話が入り組んでいて、あなたにうまく伝えられそうにないもの」
微かに眉を寄せて考え込んでいたロザリアにオスカーは苦笑した。
「なんでもいいと言ったろう?そうむずかしく考えなくていい。あらすじが無理なら、じゃあ、一番印象に残っているシーンはどんなものだった?」
オスカーの助け船にほっとした顔でロザリアが話し出した。
「・・・主人公のジュールが崇拝しているソプラノ歌手のシンシアはそれは素晴らしい歌声を持っていますの。彼女はその歌声を録音するのも、レコードを発売するのも一切禁止していることで有名で、聴衆がいる場で歌うことで自分の歌に命を吹き込むことができる、という信念を持つ人だったんです わ。ところがジュールは彼女のコンサートに自分の録音機を持ち込んでこっそりその歌声を録音してしまった。シンシアの歌声を聴くためにはコンサートに出かける以外ないのですけど、ジュールはどうしても彼女の歌声をいつでも聴けるようにしたかった。・・・それがこのお話の冒頭なんです。お話の中を全部飛ばしてしまうこ とになるんですけれど、全編にシンシアの美しい歌声が流れていてうっとりしました」
最後のシーンで、と言おうとしてロザリアはためらった。
「いいのかしら。もしあなたがこの映画をみる機会があったら、がっかりするのではなくて?あまりくわしく説明しないほうが・・・」
ハンドルを握ったままオスカーはゆったり微笑む。
「いや、その先も聞いてみたい。そこがきみの一番気に入ったシーンなんだろう?」

オスカーはなにも飾らない。いつものように。
なのに・・・、ああ、彼に憧れる女性の気持ちが少し分かった。
オスカーはただ鷹揚に頷くだけで、ほんの少し笑みをそのくちびるに浮かべるだけでこの胸にさざ波を起こすことができる。
特別な言葉もなしに心の中に楔を打つことができる。
・・・だからどうだというの。こんなことを考えているのがおかしいのよ。オスカーはそんなこと気にもしないわ。
意識しないで人の心を捉えることができるこの人は、そんなこと知りもしないに決まってる。

「・・・最後のシーンでジュールがシンシアに彼女の歌声を録音したテープを返すんです。人気のないオペラハウスでテープの彼女の歌声が響きわたって・・・。シンシアは怒りませんでした。彼女はただこう言うんですの。『私、まだ自分の歌を聴いたことがないのよ』・・・。彼女は録音を許可した ことがないから、自分の歌声を耳にしたことがなかったのですわ。そのとき思いましたの。シンシアだけではなく、わたくしたちも同じなのじゃないかって」
オスカーが怪訝そうに眉を寄せた。
「・・・どういう意味で同じなんだ?」
「ご自分の声をテープに録音したものを聞いたことはあります?自分の声は声帯から口腔や頭蓋骨を通って耳に届くものですけど、実際には他人が聞いている声は違う。だから録音された自分の声を初めて聞いたとき意外な気がするのですわ」
「・・・自分のことは案外わからない、ってことか」
「ええ、わたくしはそう思いましたわ。・・・でも歌声だけで神様に近づくことができるのは素晴らしい才能ですわ。あの声が今でも耳に残っているくらい」
「その映画のタイトルは?一度見てみたい」
オスカーがこの映画に興味を持ったというのが意外な気がした。ロザリアはゆっくりとオスカーの顔を見て答えた。
「『ディーバ』・・・、歌の女神という意味ですわ」
「歌の女神か、なるほど」

そのあと話が途切れ、車内にはラジオの音楽だけが流れた。
オスカーが顔を向けるとロザリアの頭が微かに揺れていた。
・・・眠っているのか。
ふ、と笑いがこみ上げてくる。
無理もないか。
昨日からあちこち連絡をいれたり申し送りをしたり、山積みされた執務に忙殺されていたに違いない。
陛下からロザリアのエスコートを命じられたオスカーは彼女を捕まえようとしたのだが、タイミングが悪かったとみえて結局会えずじまいだったのだ。
おまけに今日は早朝から出発しなければならなかったし、シャトルの中でも生真面目なロザリアは資料を片手に北の惑星の知識を詰め込むのに懸命だった。
大体ロザリアはふだんから根を詰めすぎなのだ。
・・・まあ今に始まったことではないが。

女王候補のとき無理をしすぎてロザリアが倒れたと聞きつけて駆け付けた彼女の部屋。
力なくベッドに横たわるロザリアの青白い頬をやりきれない思いで見つめたことを思い出す。
以来、オスカーは強引にロザリアを外へ連れ出した。日のあたるカフェテリアや色とりどりの花が咲き乱れる花園、ときには愛馬を駆って遠乗りに出かけたこともあった。
試験とは関係のない話題ばかり選んで、むきになるロザリアの反応がかわいいとわざと怒らせるようなことも言った。
少しでもいい、ロザリアが肩の力を抜いて笑ってくれるなら、と。
・・・きみは気がついていたのか?
一心に女王になることだけを願い、その為の努力を惜しまないきみだからこそ俺は惹かれて行った。
きみを女王として支持することはとりもなおさず、結果としてきみを失うことだと分かっていても。
きみの望みを叶えるためなら俺は自分の想いを押し殺すことができる。そう思っていた。
だが、女王になったのはリモージュだった。
あの日を境にきみは変わってしまった。
リモージュが新しい女王になってから俺を避けているのは知っていた。
どこまでも優秀な女王補佐官としてふるまい、付け入るすきを与えない。

きみに訊きたいことがある。
ロザリア。
教えてくれ、女王候補としての最後の日、きみはどこにいた?


ロザリアの頭が右に傾き、シートにもたれかかって行く。やがて微かに寝息が聞こえ、本格的に寝入ったようだ。長い睫毛が白い頬に影を落としていた。

・・・まったく、無防備だな。
信用されていると思えばそれも悪くないが、横に座っているのが他の男ならどうするつもりなんだ。

眠っているロザリアを起こさないよう、オスカーはラジオの音量を絞り、これまで以上に安全運転を心掛けた。
ハイウェイの終点を示す標識が見えてきた。


 5.

 地の守護聖の執務室のドアをノックする音がした。
だがルヴァは読みかけている本に夢中で気がつかない。ドアの前に立つ人物は何回かノックを繰り返したが、応答がないことをみてとって、仕方なく勝手にドアを開ける。
「ルヴァ」
ぱたんとドアを閉めて声をかけるがそれでも反応はない。
部屋の主はちゃんといる。
いつものように本に夢中になるあまり、心はどこか遠い場所を彷徨っているようだ。

・・・やっぱり。仕方がないなぁ・・・、大きな声で呼ぶしかないよね?

すぅっと息を吸い込んでもう一回。
「ル・ヴァ!」
やっとその声が脳に伝わってびっくりしたルヴァは危うく椅子から転げ落ちるところだった。
眼の前にいたのはやわらかな金髪にきらきらした緑の瞳の女王陛下。
「・・・へ、陛下!」
「こんにちは。・・・というか大丈夫?鳩が豆鉄砲でも食らったような顔よ?」
「あ、いえ、すみませんね、つい・・・」
「ごめんね、今日はロザリアがいないからお茶の時間もひとりだったの。ちょっと誰かと話をしたかったから」
ルヴァの柔和な顔に微笑みが浮かんだ。
「ええ、どうぞ、私でよければ話し相手になりますよ」
「ありがとう」

ルヴァが淹れてくれた緑茶をさましながらリモージュが言う。
「ほんとうはね、北の惑星の建国記念の祝典はどうしても聖地からお使いを出さないといけないわけじゃなかったの」
リモージュの顔を見てルヴァが不思議そうな表情をする。
「そうなんですか、でもロザリアは・・・」
「あのね、ルヴァには言っておいた方がいいかな、って気がしたから・・・」
幾分声のトーンが小さくなって、リモージュの言葉が途切れた。
そんなリモージュを見ていたルヴァはその言葉の意味をしばらく考えていたが、やがて思い当たったことがあったらしく小さくつぶやいた。
「ああ・・・、もしかしたらオスカーのことですか」
リモージュはゆっくり掌に包みこんだ湯呑を口許に持って行ってお茶を飲んだ。
「うん。・・・ね、ルヴァ。今だけでいいわ。わたしのこと陛下、じゃなくて名前で呼んで」
ためらうようにリモージュの睫毛が伏せられた。
そこにいたのは力強いサクリアをもってこの宇宙を統べる女王ではなかった。心に重い荷物を抱えて思い悩む年若い少女。
「・・・わかりました。ではリモージュ、お話を聞きましょう」

「知ってた?わたし、女王候補のときオスカーのことがすきだったの」
さほど大きくないルヴァの眼がまるくなった。・・・知らなかったらしい。
そんな深刻にならなくてもいいわよ、と前置きしてからリモージュは続けた。
「もちろん片思いだったわ。それで女王試験が終わってわたしが女王に決まったっていう知らせが来たとき、一番最初に思ったの。片思いであったとしても、きちんと告白して失恋しよう、って。だって初恋だったのよ。だいすきでした、って告白して、それで思い残すことなく女王になれるって」
「そうだったんですか・・・」
「でもね」
「・・・ええ、それで?」
「しばらくしてから気がついたの。ロザリアのようすがおかしいって。ううん、女王補佐官の執務はやり過ぎるほど頑張っていたけど、不自然だったのよ。誰にも同じように接していたからこそ気がついたの。ロザリアは明らかにオスカーを避けていたわ」
ルヴァは穏やかな笑みで返した。
「・・・ええ、私も気がついていました」
「やっぱり気がついていたのね。・・・ごめんなさい、ルヴァ。あなたにこんな話をするのは筋違いかも知れない。でもわたし・・・」
「いいえ、いいんですよ。分かりますよ、あなたが何を気にしているのか。私がロザリアのことをすきだと知っているから、心配なんでしょう?」
リモージュは微かに息をついた。
「ええ」
ルヴァは小さくためいきをついた。だがその顔には微笑みさえ浮かべていた。
「たぶん他のことなら私は気がつかなかったでしょう。ごぞんじのように私はなにかとうといですからね。でもロザリアのことを見つめていたからこそ気がついたんです。彼女の眼はオスカーを追っていました」
ここでルヴァはすっかり冷めてしまったお茶をごくりと飲んだ。
「・・・リモージュ。あなたはクラヴィスのことを聞いたことはありますか」
リモージュの緑の瞳がルヴァに向けられた。何回かまばたきをしたあと、リモージュが慎重に言葉を選んで言った。
「・・・たぶんあのことね?」
「ええ、それで合っていると思います。私は先代の女王陛下が即位された当時のクラヴィスの眼を思い出してしまうんですよ。ロザリアのオスカーに対する眼差しを見ていると・・・」
「・・・なんとなくわかる気がする」
「・・・ええ」


あの人を求めてはいけない。
どんなに心があの人を恋しく思っていても。
断ち切れない想いがこの胸で息づいても、それを言葉にすることはない。
いつかこの胸の中で恋が死んでしまうまで待つしかないと知っているから。


「・・・実は昨日オスカーがここへ来たんですよ」
「え・・・?」
「もともとはロザリアがどこに行ったか分からないので、守護聖の執務室をジュリアスのところから順番に聞いて回っていたらしいんですが。最後に私のところへ来たとき、ちょうどロザリアは王立図書館に行くと言って出かけて行ったところだったんですよ。そのとき言われたんです。はっきり宣言さ れました」
「・・・なにを?」
「どんなに分が悪くても俺はあきらめない。そのつもりでいてくれ、と」
リモージュが目をぱちくりさせた。
「・・・それって」
ルヴァはこらえきれないように口許を緩めた。
「おかしいでしょう?まるでロザリアと私のあいだになにかあるかのように・・・。それまでオスカーをそういう眼で見たことはなかったんですが、意外に彼は純情なんだと思いました。オスカーは執務も真面目にこなすし、まわりが思っているよりずっと真摯ですよ。でももっと・・・なんというか、 ドライなのかと思っていたんですよ。でもそうじゃないみたいですね」
「うん・・・。でもルヴァ、いいの?」
「なにがですか」
「その・・・。ロザリアのこと」
ルヴァはしばらく窓の外の風景を眺めていたが、やがてリモージュにむかって穏やかな顔をみせた。
「これまでも変わらなかったから、きっと同じですよ。私の気持ち、という意味なら」
「そう・・・」
「あなたはどうなんですか。だいすきって告白して、それでさっぱりするものなんですか?」
リモージュの眉がわずかに寄せられた。
「意外に大胆な質問をするのね。もちろんそんな簡単な話じゃなかったわ。・・・でも少しずつだけど・・・胸が痛くなるほどの思いをすることはなくなった、と言えるわ。すくなくとも今回のロザリアのエスコートにオスカーを指名したのはわたしの意思だし」
「女王陛下ならぬキューピッドの役回りですか。そうですね、じゃあこの公務が終わって聖地に戻って来る彼らを意地悪く観察するっていうのはどうですか」
「・・・ルヴァ、あなたってそういう人だったの?」
眼をまるくしているリモージュにルヴァはにっこり微笑んで言った。

「ええ、それは、ねぇ。なにぶんあなた方やオスカーより長く生きてますから」


 6.

 しばらくあっけにとられていたリモージュはややあってきゃはは、とはじけるように笑いだした。おなかを押さえ肩を震わせ涙まで浮かべている。
ひとしきり笑ったあとで指で涙をぬぐいながら言う。
「ごめんなさい。正直に言ってしまうと、オスカーが相手じゃどうみてもあなたの方が分が悪いんじゃないかって気がしてたの。だから申し訳ないと思って・・・。でも、意外ね。だって、わざわざオスカーが宣戦布告しに来たってことは、あなたのことを恋敵として認識してるってことなのね。いまな らその意味が分かるわ」
「おや。それは褒めて頂いていると思っていいんでしょうか」
「もちろん褒めているのよ。だって、もしオスカーがロザリアのこと口説き落としても、あなたはしれっとした顔でロザリアを誘うでしょう?ロザリアに何の警戒心も起こさせないで」
「ああ・・・、そういう意味ですか」
「・・・なんだか楽しくなってきたわ。ね、ルヴァ。またここに来てもいいかしら。もっとあなたとお話をしたいわ」
「それは光栄ですね。ところで、そのときは女王陛下として?・・・それともリモージュとしてですか」
「もちろん、ただのリモージュに決まってるじゃない」
リモージュはルヴァと共犯者のように不敵に微笑みあった。
ここへやってきたときの重苦しい気分はどこかへ飛んで行ってしまった。

「・・・いまごろどうしているかしら。きっとオスカーはロザリアの警戒心を解こうとやっきになっているでしょうね」
「ええ・・・。オスカーはこうと決めたら必ずやり遂げる人ですから。少々の困難にはめげない人ですよ」
ルヴァは恋敵に送る言葉としては最大級の褒め言葉を口にした。



ゆっくりと浮上する意識の中でロザリアは心地いい感触のそれをもっと引き寄せようと指を伸ばした。
ロザリアはそれが肌触りのいい毛布だと気がついて顔を寄せた。
気持ちいい・・・。
なにか、聞きなれない音がしている。
でもとてもよく知っている気がして、ぼんやりとその音の正体を探ろうと耳を澄ます。
・・・なんだったかしら・・・。
もぞもぞと体を動かし居心地のいい体勢を探す。右の頬と肩のあたりに感じる体温が彼女を安心させてくれる。こんな風に満ち足りた眠りは少しでも長くむさぼりたい。
思わず満足のためいきがこぼれた。

・・・?

どこからか声がする。とても近いところで。
それは自分の名前なのにその声に呼ばれているとなにか別のもののようで、ロザリアはうっとりと耳を澄ませた。
ええ、それはわたくしの名前だわ。
ロザリア。
薔薇の名前をもつお穣ちゃんとあの方は言ったけれど、最後までわたくしの名前を呼んでくれることはなかった。
ええ、わかっていましたわ。
あの方にとってわたくしは故郷に残してきた妹のような存在。
やがて女王になる候補ですもの、たいせつに扱って当然ですわね。誇り高い騎士さまがその剣を捧げ忠誠を誓う女王陛下。その卵ですもの・・・。
鈍い痛みが胸を締めつける。

教えて。
なぜリモージュの手をとらなかったの?
あの子はあの日あなたのところへ行ったのに。
あなたもリモージュをかわいがっていたじゃない。わたくしはあなたがリモージュを受け入れ、女王になることを辞退させると思っていたわ。
だからあきらめたのに。
あなたを想うことを自分に禁じたのに。

夢と現実のはざまでロザリアは涙を流した。
誰か、助けて・・・、胸が痛いの。
女王試験が終わったあの日から心が死んだように感じる。それは手に触れることができるなら、きっと硬く冷たい氷のように凍っているに違いない。

・・・ロザリア。

いいえ、その声で呼ばないで。もう終わったのよ。
なのにこの頬をつたう涙はこんなにも温かい。
どうしたらいいの、こんなになってもまだあなたのことをすきだなんて。

「ロザリア」
はっきりと名前を呼びかけられ、なにも分からないまま引き寄せられた。
「だいじょうぶだ、泣かなくていい」
・・・!
急速に現実に引き戻され、ロザリアは身を固くして息を詰めた。
・・・なぜ?
夢だと思っていたのにロザリアの耳元近くで聞こえる声は間違いようもなくオスカーのものだった。
背中に回された腕が宥めるようにそっとやさしくロザリアを拘束している。
「夢でもみていたのか?・・・子供みたいだな」
小さい子供をあやすような声。
「だいじょうぶだ。なにも心配しなくていい。・・・俺がここにいる」
・・・なにを言っているの。全部あなたのせいなのに。ロザリアは思わず心の中で毒づいた。

とくとくと聞こえる確かな鼓動を刻む心臓の音。
引き寄せられた胸は温かった。
ぽんぽんとゆっくり背中を叩く手。
・・・ああ、あなたはどこまで行ってもやさしいのね。
ロザリアは手を伸ばしてオスカーの上着を掴んだ。

ごめんなさい。
あなたの温かさを欲しがることがおろかだと知っているのに、それでも止めることができない。
あなたが悪い訳じゃない。
あなたに罪はないわ。
・・・でもどうしようもなく苦しい。あなたのせいにしたくなる。

もう少しだけ、こうしていたい。
いまだけ。
夢のせいにして、なにも考えないでこうしていたいの。
ロザリアはそれ以上考えることを放棄して瞼を閉じた。


 7.

 「・・・落ち着いたか?」
「ご、ごめんなさい・・・、もうだいじょうぶですわ。あの、・・・」
「うん?」
「・・・も、もう離して。きっとひどい顔になっているから、しばらくこちらを見ないでいただけると助かりますわ」
「それは残念だな。毛布ごときみを抱きしめているとじつに気持がいいのに」
「オスカー!」
きっと睨みつけるロザリアの頬にちゅっと軽いキスをしてオスカーは腕の中のロザリアを解放した。
「・・・!!」
「子守の報酬だ。これくらいいいだろう?」
よくない、子守ですって?
真っ赤になったロザリアが青い目に怒気をこめて言葉もなく責めているのをオスカーはおおらかな表情で受け止めた。抑えきれない笑みが口許に浮かんだ。

それでいい。
俺だけに泣き顔をみせてくれるのはうれしいが、できれば泣き顔じゃないほうがいい。
女王候補のときみたいに笑ったり怒ったりするきみを見せてくれ。
有能な女王補佐官以外の顔を見せるきみはきっと魅力的だ。

ハンカチを取り出して涙の跡を拭き、髪を直しているとさっきから聞こえていた音がなんなのか分かった。
波の音だ。
ロザリアは自分に掛けられていた毛布をたたみながら、もしかしたら、わたくしはかなり長い時間眠っていたのかしら、と思い当たった。
車は道路から離れた場所で駐車されていたし、そういえば目的地には二時間くらいで着くとオスカーが言っていた。
車の時計を確認するといささかぎょっとした。

・・・いやだわ、いつ眠ってしまったか覚えていないけど、どうみてもたっぷり一時間以上は眠っていたことになる。だってハイウェイを降りた記憶がないもの。
この毛布にしてもいつ掛けてくれたのか、気がつかなかった。

おそるおそるオスカーの方へ顔を向ける。ロザリアが言ったことを律儀に守って彼女の方を見ないようにしていたらしく、オスカーは腕を組んでシートにもたれかかって眼を閉じている。
甘いマスクに鋭さを加えるあのアイスブルーの瞳が見えないと少し幼く見える。
見慣れた執務服ではなく、黒のタートルネックのセーターに厚手のジャケット。
まじまじと見つめていると声をかけられ、どきっとした。
「もう、いいか?」
「え、ええ。・・・あの、毛布を掛けてくださったのね、ありがとう。わたくしずいぶん長い時間眠ってしまって、ごめんなさい。・・・起してくださればよかったのに」
あの印象的なアイスブルーの瞳がロザリアを捉える。口の端を持ち上げてオスカーがさらっと言った。
「いや、きみの寝顔をみていた」
「・・・またそういうことを!あいにくとわたくし、そういうセリフを口にするあなたはすきになれませんわ」
「気に入らなかったか?」
「そういうセリフはあなたに憧れてらっしゃる女性たちにとって置く方がよろしいと思いますわ」
ぷいっと顔を背けたロザリアの腕をオスカーが掴んだ。思わず身をすくめたロザリアに静かに言う。
「じゃあ、教えてくれ。本音を口にしても気に入らないならどうすればいい?」
「・・・え?」
オスカーの顔をじっと見返したロザリアはそのアイスブルーの瞳に傷ついた色を認めて息を詰めた。
「オスカー・・・」
「・・・悪い」
そう言うとオスカーはロザリアの腕を離した。
ロザリアがなにも言えないでいると重苦しい空気を変えるように軽い口調でオスカーが言った。
「少し歩こう。ガイドブックによるとここから五分も歩けば海岸に出るらしい。運がよければ流氷を見ることができる」
「え、ええ」
もうオスカーはいつものようにゆったり構えていて、さっきのことなどなかったような顔をしている。
だがロザリアは握りしめた手で胸を押さえて唇を噛んでいた。

・・・ごめんなさい。
わたくしの言葉であなたを傷つけることができるなんて考えてもみなかった。
あなたはいつも大人でわたくしを甘やかしてくれたのに。
わがままで自分勝手で、こんな自分がいやになるわ・・・。


車の外へ出ると思っていたより風が冷たい。
歩き出してから、手袋を車に置いたままなのに気がついた。
・・・体を冷やすんじゃないよ。そう言ったオリヴィエの顔を思い出し、なんだかあなたはだんだんとばあやに似てきたような気がするわ、とロザリアは心の中でつぶやく。
そんな風に心配してくれるのはわたくしが頼りないからかしら・・・。
いいえ、そうではないわ。オリヴィエはごく自然にまわりの人を気遣えるひとだから。
リモージュが女王に即位してから女王補佐官として、ロザリアなりに守護聖との関係を築いているつもりだった。
ルヴァやオリヴィエ、ジュリアスといった女王候補時代から友好的な関係を築いていたメンバーだけではなく、どの守護聖にも自分から積極的に関わるようにしてきた。
そう、誰に対しても公平にと心がけて。
・・・なのに。
オスカーといるとどうしても意識してしまう。
あなたのことなど気にかけていないと虚勢を張り、優秀な女王補佐官の顔を崩せない。
オスカーのことを意識するあまり、ごく普通の会話さえできなくて・・・。
結果として、執務の話が終わるとそそくさと彼のもとから逃げるように立ち去るしかなかった。言葉を交わさないどころか、ほとんど眼を合わせることさえ避けていた。

崖の下に続く細い道を降りる場所に来たとき、前を歩いていたオスカーが振り向き、手を差し伸べてきた。
ロザリアは一瞬ためらったあと素直にオスカーの手に自分の手を預けた。
重ねた手のぬくもりが緊張を解きほぐしてくれる。

もう余計な気を回すのはやめよう。
たぶん、ここにいるのが誰であってもオスカーはおなじようにふるまうだろう。
・・・ええ、間違いなく。

大きな手。剣を持つその手はところどころ硬くなっていてオスカーがもともと軍人だということを思い出させる。
燃えるような真っ赤な髪に氷海を思わせるアイスブルーの瞳。甘い言葉で人をたぶらかすプレイボーイ。
そんな表面的なことにふりまわされない自信はあった。
ロザリアは名門貴族として名高い家に生まれ育った。口当たりのいいお世辞など見抜ける。社交辞令にも慣れている。その意味を正確に捉え、それ相応の受け答えができる。
だがオスカーは相手に率直な賛辞を贈るが嘘はつかない。
鼻もちならない気障な奴と思えば意外におおらかで、細かいことは笑い飛ばせる度量さえあって。
・・・いっそのこといやな奴だったらよかったのに。そうしたら徹底的に軽蔑して無視できるのに。
けっこう皮肉屋なのに面倒見がよくて、相手のことを気遣うやさしさも持ち合わせていて。
なんて人なの。いままであなたのような人はいなかった。
女性を惹きつける魅力だけではない素のあなたを知ってしまった。いっそのことそんなこと知らなかった方がよかったのに。

あなたのことがすきでたまらない。
それは夢見たような淡いふわふわしたものではなく、胸を締めつけ、むしろそれは痛みにも似ている。
持て余すほどせつないのにそれを捨てきれない。

あの日、女王試験の終わりを知らされたわたくしはあなたの私邸へ向かった。
もといた世界に戻る決心をしたわたくしは最後にあなたに言いたいことがあった。
生まれ育った家を継ぐことにはなんのためらいもない。
でもわたくしがわたくしらしく生きてゆくためにはどうしても必要な儀式があった。
・・・この恋をわたくしの手で終わらせること。
あなたをすきでしたわ。
それさえ伝えることができれば、と。

                            後編は こちら

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