管理人の書いた、乙女ゲーの二次創作保管庫です。
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乙女ゲーとか映画とか書物を愛する半ヲタ主婦。
このブログ内の文章の無断転載は、固くお断り致します。
また、同人サイトさんに限り、リンクフリー、アンリンクフリーです。
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「指先」
さやさやと葉を鳴らしていく涼風が心地よい。森林の名残を残しているこの広場では、視界を緑で満たすことができる。初夏の日差しに、新緑は輝き、温められた地面から、草いきれがのぼってくる。
昼休み、月森蓮がこの場所に足を向けたのは、無意識に緑がもたらす心の安静を求めたためかもしれなかった。このところ、月森の心は、しばしば波立っている。それは、感情よりも理性に重きを置き、ヴァイオリンをもって、自らの音楽を高めることに、すべてを投入してきた彼にとって、ほとんど経験のない感情の揺れ。
原因は、はっきりしていた。日野香穂子。異例にも普通科から抜擢されて、今、月森と同じく学内コンクールに参加している少女。同じ楽器でコンクールの臨む以上、意識をするのは当然と言えたが、香穂子の奏でる音は、当初、月森にとって、まったく歯牙にかけるほどのものではなかった。まず第一に技量が不足していたし、それに伴う音楽的表現力も乏しく、さして魅力のある音とは思えなかった。
ところが、第一、第二とセレクションが進むにつれて、彼女は驚くべき進歩を遂げ、まぎれもない個性の輝きを、その調べに表し始めたのだった。荒削りで、ひたむきな、そのくせ伸びやかな音。
いつもやる気のなさそうなコンクールの担当教師、金澤がふと洩らした評が、月森の心にかかっている。「あいつのヴァイオリン、いい声で歌うようになって来たな」
日野の音色は、正に“歌っている”という表現がふさわしかった。これまで多くの名手の調べを聴き、また日々音楽科の学生たちの演奏に接している月森にとっても、初めて出会った「うまくはないが、魅力のある音」。それは、まぎれもなく日野だけが持ちうる音楽の世界と呼べるものかもしれなかった。
(第二セレクション前の、あの合宿の時…)
月森は、思い起こす。
(俺は彼女の音色に惹かれるままに、弓を手に取った。そして…)
日野に合わせて弾いた「アヴェ・マリア」は、いつもの自分の音とは、異なっていた、と思う。その感覚を、練習中呼び起こそうと何度か試みたが、かなわなかった。認めたくはないが、日野がいたからこそ、できた演奏だったのかもしれない。彼女は、自分にないものを持っている、と。
無論、自分の作る音は、出来うる限り、完璧に近づけたいし、日野に劣るつもりは毛頭ない。そのために日頃から練習も積み、表現することへの苦しみも、味わっている。だが、そうした音楽家として積み上げる努力と、なにか違う次元に、日野の音の魅力はあるような気がする。
ふと、頬に当たる空気の流れを感じて、月森は額にかかる前髪をかき上げた。吹き抜ける風は、この陽気で汗ばんだ肌に、すずやぎをもたらして、去っていく。
(たとえば、こんな風に似ているのかもしれない……)
月森の耳を心地よく撫でることも、その心に波風を立てることも頓着していない。てらいなく、自然に流れるままに奏でられる日野の音。だからこそ、惹かれるのか……。そこに思い至った時、月森は、胸の奥がきゅっと痛むのを感じた。
(俺がどう感じようが、頓着しない、音……)
だからといって、なぜ胸が痛むのか、わからなかった。わからないがゆえに、また混乱する……。自分の中を駆けめぐる疑問を追いかけて歩くうちに月森は、広場のあちこちに点在する灌木の茂みに、思い切り突っ込んでしまった。
「………!?」
「きゃっ!」
腰ほどの高さの灌木に、上半身をつんのめらせた時、月森の耳に少女の小さな悲鳴が届いた。はっと顔をあげると、茂みの向こうの芝生の上に、目をまんまるく見開いた日野香穂子そのひとが座っていた。こんな有様を、よりによって日野に見られたきまり悪さで、月森の頬はかっと熱くなった。
(なんで、こんなところにいるんだ??)
理不尽な怒りを覚えつつ、慌てて体勢を立て直そうとするところへ、日野がさっと立ち上がって、傍らへやって来た。
「だ、大丈夫? 月森くん」
このうえ助け起こされでもしたら、格好の悪いこと、このうえない。日野が差し伸べた手を、月森は振り払った。
「大丈夫だ……心配には及ばない」
何とかからだを起こし、少なくとも、日野に見下ろされるという無様な情況からは、脱することができた。そんな月森を見守る日野の目は、心配そうに彼の手に向けられた。
「指は? けがしてない?」
言われて、はっとなって、両手をあらためてみた。
「あ……」
「血が出てるじゃない! 枝かなんかで切ったんだね。すぐ手当しないと!」
自分の指に一心に注がれる日野の目に、いたたまれなさを覚えた月森は、その視線から隠すように、けがをした右手を、左手で覆った。
「たいしたことはない」
「ダメだよ! 月森くんの指は、ヴァイオリンを弾く指でしょう! こっち、来て!」
言うや否や、日野は月森の腕を抱え込み、芝生の先ほどまで自分が座っていた場所まで、引っ張っていった。見ると、そこには弁当包みやら、パックのジュースやら、要するに日野が食後のひとときを過ごしていたことを示す持ち物が散らばっていた。 月森を座らせると、日野はレッスンバッグの中をかき回して、消毒薬と脱脂綿、絆創膏を取り出した。
「手、出して!」
有無を言わさない命令形に、月森がためらいがちに手を預けると、日野は真剣な表情で傷口をあらため、処置を始めた。
「ちょっと染みるけど、我慢してね」
消毒薬を脱脂綿に注ぎ、それで傷口を押さえ、丁寧に絆創膏を巻く。一連の動作をする日野の手のぬくもりに、月森の胸はざわめいた。落ち着かなくてしようがないのだが、身動きすることもできない。
日野に気づかれないように、そっと間近にある彼女の顔と、自分の手にふわりと触れているその指を見比べた。そして、日野の右手の中指に、ビーズで作った指輪がはめられていることに気づいた。
「はい、これで、いいよ」
長くもあり、あまりに短くもあった手当が終わって、日野のぬくもりが離れた時、残念に思う自分に気づいて、月森は慌てた。動揺を悟られないように、少し後ろにずり下がって、日野から距離を取り、視線をそらした。
「……ありがとう、準備がいいな」
「あ、うん。いつもってわけじゃないんだけど、今日、球技大会の練習があるから」
「?」
「あ、音楽科はないんだっけ。普通科は来週クラス対抗の球技大会があるんだよ。私、コンクールに参加するから、競技には参加しないんだけど、応援とマネージャーをすることになってね。みんながけがした時のために、用意してきたんだ」
「……そうなのか」
楽しげに話す日野を、月森は新しい視点で見ていた。
(俺は……ヴァイオリンを弾いている君しか知らない。けれど、君にはヴァイオリン以外の高校生活もあるんだな……)
そんな思いに気づく様子もなく、日野は月森に笑いかけた。
「うん、まさか、月森くんの役に立つとは思わなかったけど。びっくりしたよ〜。急に茂みに突っ込んで来るんだもの」
「少し考え事をしていて、不注意になっただけだ」
「そうなんだ? やっぱり次のセレクションのこととか?」
「……まあ、そんなところだ」
(……君の音のことを考えていたなんて、言えるか!)
焦りを見せまいと、つっけんどんに言った言葉を、日野は素直に信じたようだった。
「ふ〜ん……。一日が音楽を中心に回ってるなんて、すごいね」
日野はなぜか視線を落とした。
「月森君くんも、他の参加者のみんなも……」
語尾は消え入るように小さくなって、聞き取れなかった。
「俺が何だって?」
「あ、ううん。何でもないの。そうだ、月森くん、よかったら、食べる?」
いささか強引に話題を変えて、日野はまたレッスンバッグの中を探った。そして、半透明のタッパーを取り出した。
「カップケーキ。今日、調理実習で作ったんだ。割といい出来なんだよ」
甘い物はあまり好きではない。だが、日野が勧めるカップケーキは、確かにキツネ色に香ばしく焼けていて、うまそうだった。
「…一つ、もらう」
「どうぞ、どうぞ」
一口かじると、卵とバター、そしてバニラの甘い香りが口に広がった。
「うまい」
「でしょ?」
嬉しそうに笑う日野に問いかけてみた。
「君は、料理が得意なのか?」
「得意ってほどじゃないけど、時々お母さんが夕飯作るの手伝うよ」
言いながら日野は、芝生の上からジュースのパックを取り上げ、ストローを口に含んだ。細い喉がこくんと動く。
(小鳥みたいだな……)
その動作に何となく見とれていた月森に、日野は「なに?」と問うような視線を投げた。
「いや……その指輪は?」
とっさに出た質問だったが、日野にとって、嬉しいものだったらしい。再び笑みが唇にのぼった。
「ああ、これ? 自分で作ったの」
「君が?」
「そう、ビーズアクセ作るの、好きなの。これはね、ここのところが、結構気に入ってるんだ」
日野は、無造作に月森の方に手を伸べて、花の形が組み込まれた部分を、指し示した。白い指に、赤い花模様は、よく映った。その指を、そっと自分の手で包んでみたい衝動に、月森は懸命に耐えた。
「月森くんにも、何か作ってあげようか……って、男子はあんまりビーズの小物なんて、持たないよね。うーん、残念」
ちょっと眉根を寄せてみせる日野の表情は、どこまでも無邪気で……。今月森が感じている胸のとどろきを知らせたら、その陰りない明るさを、損なってしまいそうな気がした。
(……少し、落ち着け)
自分に言い聞かせ、ふうっと息を吐いて、月森は立ち上がった。
「あれ? 月森くん?」
「そろそろ、昼休みも終わる。失礼する」
「あ、うん、そういえば、そうだね」
月森の言葉に促されるように、日野は、慌ただしく芝生の上に散らばった持ち物を、まとめ始めた。
「傷の手当てと……ケーキをありがとう。それじゃ」
「うん、月森くん、またね」
「ああ」
足早にその場を離れ、人目のない木の陰まで来た時、月森は日野が絆創膏を巻いた自分の指を見つめた。
「……君の指は、ヴァイオリンを弾くだけじゃなく……。人の手当をしたり、ケーキやビーズを作ったり……そして……俺の心に触れる指なんだな」
月森は、そっと唇を指に押し当てた。日野のぬくもりを、そこに伝えるかのように。
一方、日野は……。
「ああ〜、月森くん、行っちゃった」
思わず、ため息が洩れる。
「急いで片づけてるのに、さっさと行っちゃうんだもの。待っててくれてもいいのに。まあ、月森くんらしいといえば月森くんらしいけど」
持ち物を手早くしまったレッスンバッグを持って立ち上がり、忘れ物がないか、見回した。すると、先ほどの絆創膏の使用済みの紙が落ちているのに気が付いた。拾い上げて、ポケットに入れようとして、ふと手を止めた。
「指、大丈夫かな、月森くん」
赤い血を一筋流していた、月森の強くしなやかな指を、思い起こす。
「……月森くんの、ヴァイオリンを弾く指……触っちゃった」
感触を呼び起こすように、手を握り合わせてみた。
「ご利益で、少しは上達しないかなあ?」
日野の耳と心には、月森の音がくっきりと刻まれている。縦横無尽に、正確に弦の上を走る指、深く広く、そして妥協のない音色。かなわないのはわかっている。けれど、できるものなら、少しでも近づきたい、うまくなりたい。
(そんな迷信を当てにするより、少しでも練習をするべきだろう)
ぴしりと言う月森の声が聞こえる気がして、日野はくすりと笑った。
「頑張ろうっと。月森くんの前で恥ずかしくない演奏ができるように」
と、その時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
「うわ、急がないと授業が始まっちゃう」
日野は慌てて駆けだした。月森が物思いに耽りながらたたずんでいた木陰から、やはり今走り出したことを、日野は知らない。ふと触れ合った指先のように、思いが重なる瞬間は、まだ先のようだった。
(終わり)
月森は、こういうコケ方をしたら、自分で自分が許せないだろうと思います(笑)
さやさやと葉を鳴らしていく涼風が心地よい。森林の名残を残しているこの広場では、視界を緑で満たすことができる。初夏の日差しに、新緑は輝き、温められた地面から、草いきれがのぼってくる。
昼休み、月森蓮がこの場所に足を向けたのは、無意識に緑がもたらす心の安静を求めたためかもしれなかった。このところ、月森の心は、しばしば波立っている。それは、感情よりも理性に重きを置き、ヴァイオリンをもって、自らの音楽を高めることに、すべてを投入してきた彼にとって、ほとんど経験のない感情の揺れ。
原因は、はっきりしていた。日野香穂子。異例にも普通科から抜擢されて、今、月森と同じく学内コンクールに参加している少女。同じ楽器でコンクールの臨む以上、意識をするのは当然と言えたが、香穂子の奏でる音は、当初、月森にとって、まったく歯牙にかけるほどのものではなかった。まず第一に技量が不足していたし、それに伴う音楽的表現力も乏しく、さして魅力のある音とは思えなかった。
ところが、第一、第二とセレクションが進むにつれて、彼女は驚くべき進歩を遂げ、まぎれもない個性の輝きを、その調べに表し始めたのだった。荒削りで、ひたむきな、そのくせ伸びやかな音。
いつもやる気のなさそうなコンクールの担当教師、金澤がふと洩らした評が、月森の心にかかっている。「あいつのヴァイオリン、いい声で歌うようになって来たな」
日野の音色は、正に“歌っている”という表現がふさわしかった。これまで多くの名手の調べを聴き、また日々音楽科の学生たちの演奏に接している月森にとっても、初めて出会った「うまくはないが、魅力のある音」。それは、まぎれもなく日野だけが持ちうる音楽の世界と呼べるものかもしれなかった。
(第二セレクション前の、あの合宿の時…)
月森は、思い起こす。
(俺は彼女の音色に惹かれるままに、弓を手に取った。そして…)
日野に合わせて弾いた「アヴェ・マリア」は、いつもの自分の音とは、異なっていた、と思う。その感覚を、練習中呼び起こそうと何度か試みたが、かなわなかった。認めたくはないが、日野がいたからこそ、できた演奏だったのかもしれない。彼女は、自分にないものを持っている、と。
無論、自分の作る音は、出来うる限り、完璧に近づけたいし、日野に劣るつもりは毛頭ない。そのために日頃から練習も積み、表現することへの苦しみも、味わっている。だが、そうした音楽家として積み上げる努力と、なにか違う次元に、日野の音の魅力はあるような気がする。
ふと、頬に当たる空気の流れを感じて、月森は額にかかる前髪をかき上げた。吹き抜ける風は、この陽気で汗ばんだ肌に、すずやぎをもたらして、去っていく。
(たとえば、こんな風に似ているのかもしれない……)
月森の耳を心地よく撫でることも、その心に波風を立てることも頓着していない。てらいなく、自然に流れるままに奏でられる日野の音。だからこそ、惹かれるのか……。そこに思い至った時、月森は、胸の奥がきゅっと痛むのを感じた。
(俺がどう感じようが、頓着しない、音……)
だからといって、なぜ胸が痛むのか、わからなかった。わからないがゆえに、また混乱する……。自分の中を駆けめぐる疑問を追いかけて歩くうちに月森は、広場のあちこちに点在する灌木の茂みに、思い切り突っ込んでしまった。
「………!?」
「きゃっ!」
腰ほどの高さの灌木に、上半身をつんのめらせた時、月森の耳に少女の小さな悲鳴が届いた。はっと顔をあげると、茂みの向こうの芝生の上に、目をまんまるく見開いた日野香穂子そのひとが座っていた。こんな有様を、よりによって日野に見られたきまり悪さで、月森の頬はかっと熱くなった。
(なんで、こんなところにいるんだ??)
理不尽な怒りを覚えつつ、慌てて体勢を立て直そうとするところへ、日野がさっと立ち上がって、傍らへやって来た。
「だ、大丈夫? 月森くん」
このうえ助け起こされでもしたら、格好の悪いこと、このうえない。日野が差し伸べた手を、月森は振り払った。
「大丈夫だ……心配には及ばない」
何とかからだを起こし、少なくとも、日野に見下ろされるという無様な情況からは、脱することができた。そんな月森を見守る日野の目は、心配そうに彼の手に向けられた。
「指は? けがしてない?」
言われて、はっとなって、両手をあらためてみた。
「あ……」
「血が出てるじゃない! 枝かなんかで切ったんだね。すぐ手当しないと!」
自分の指に一心に注がれる日野の目に、いたたまれなさを覚えた月森は、その視線から隠すように、けがをした右手を、左手で覆った。
「たいしたことはない」
「ダメだよ! 月森くんの指は、ヴァイオリンを弾く指でしょう! こっち、来て!」
言うや否や、日野は月森の腕を抱え込み、芝生の先ほどまで自分が座っていた場所まで、引っ張っていった。見ると、そこには弁当包みやら、パックのジュースやら、要するに日野が食後のひとときを過ごしていたことを示す持ち物が散らばっていた。 月森を座らせると、日野はレッスンバッグの中をかき回して、消毒薬と脱脂綿、絆創膏を取り出した。
「手、出して!」
有無を言わさない命令形に、月森がためらいがちに手を預けると、日野は真剣な表情で傷口をあらため、処置を始めた。
「ちょっと染みるけど、我慢してね」
消毒薬を脱脂綿に注ぎ、それで傷口を押さえ、丁寧に絆創膏を巻く。一連の動作をする日野の手のぬくもりに、月森の胸はざわめいた。落ち着かなくてしようがないのだが、身動きすることもできない。
日野に気づかれないように、そっと間近にある彼女の顔と、自分の手にふわりと触れているその指を見比べた。そして、日野の右手の中指に、ビーズで作った指輪がはめられていることに気づいた。
「はい、これで、いいよ」
長くもあり、あまりに短くもあった手当が終わって、日野のぬくもりが離れた時、残念に思う自分に気づいて、月森は慌てた。動揺を悟られないように、少し後ろにずり下がって、日野から距離を取り、視線をそらした。
「……ありがとう、準備がいいな」
「あ、うん。いつもってわけじゃないんだけど、今日、球技大会の練習があるから」
「?」
「あ、音楽科はないんだっけ。普通科は来週クラス対抗の球技大会があるんだよ。私、コンクールに参加するから、競技には参加しないんだけど、応援とマネージャーをすることになってね。みんながけがした時のために、用意してきたんだ」
「……そうなのか」
楽しげに話す日野を、月森は新しい視点で見ていた。
(俺は……ヴァイオリンを弾いている君しか知らない。けれど、君にはヴァイオリン以外の高校生活もあるんだな……)
そんな思いに気づく様子もなく、日野は月森に笑いかけた。
「うん、まさか、月森くんの役に立つとは思わなかったけど。びっくりしたよ〜。急に茂みに突っ込んで来るんだもの」
「少し考え事をしていて、不注意になっただけだ」
「そうなんだ? やっぱり次のセレクションのこととか?」
「……まあ、そんなところだ」
(……君の音のことを考えていたなんて、言えるか!)
焦りを見せまいと、つっけんどんに言った言葉を、日野は素直に信じたようだった。
「ふ〜ん……。一日が音楽を中心に回ってるなんて、すごいね」
日野はなぜか視線を落とした。
「月森君くんも、他の参加者のみんなも……」
語尾は消え入るように小さくなって、聞き取れなかった。
「俺が何だって?」
「あ、ううん。何でもないの。そうだ、月森くん、よかったら、食べる?」
いささか強引に話題を変えて、日野はまたレッスンバッグの中を探った。そして、半透明のタッパーを取り出した。
「カップケーキ。今日、調理実習で作ったんだ。割といい出来なんだよ」
甘い物はあまり好きではない。だが、日野が勧めるカップケーキは、確かにキツネ色に香ばしく焼けていて、うまそうだった。
「…一つ、もらう」
「どうぞ、どうぞ」
一口かじると、卵とバター、そしてバニラの甘い香りが口に広がった。
「うまい」
「でしょ?」
嬉しそうに笑う日野に問いかけてみた。
「君は、料理が得意なのか?」
「得意ってほどじゃないけど、時々お母さんが夕飯作るの手伝うよ」
言いながら日野は、芝生の上からジュースのパックを取り上げ、ストローを口に含んだ。細い喉がこくんと動く。
(小鳥みたいだな……)
その動作に何となく見とれていた月森に、日野は「なに?」と問うような視線を投げた。
「いや……その指輪は?」
とっさに出た質問だったが、日野にとって、嬉しいものだったらしい。再び笑みが唇にのぼった。
「ああ、これ? 自分で作ったの」
「君が?」
「そう、ビーズアクセ作るの、好きなの。これはね、ここのところが、結構気に入ってるんだ」
日野は、無造作に月森の方に手を伸べて、花の形が組み込まれた部分を、指し示した。白い指に、赤い花模様は、よく映った。その指を、そっと自分の手で包んでみたい衝動に、月森は懸命に耐えた。
「月森くんにも、何か作ってあげようか……って、男子はあんまりビーズの小物なんて、持たないよね。うーん、残念」
ちょっと眉根を寄せてみせる日野の表情は、どこまでも無邪気で……。今月森が感じている胸のとどろきを知らせたら、その陰りない明るさを、損なってしまいそうな気がした。
(……少し、落ち着け)
自分に言い聞かせ、ふうっと息を吐いて、月森は立ち上がった。
「あれ? 月森くん?」
「そろそろ、昼休みも終わる。失礼する」
「あ、うん、そういえば、そうだね」
月森の言葉に促されるように、日野は、慌ただしく芝生の上に散らばった持ち物を、まとめ始めた。
「傷の手当てと……ケーキをありがとう。それじゃ」
「うん、月森くん、またね」
「ああ」
足早にその場を離れ、人目のない木の陰まで来た時、月森は日野が絆創膏を巻いた自分の指を見つめた。
「……君の指は、ヴァイオリンを弾くだけじゃなく……。人の手当をしたり、ケーキやビーズを作ったり……そして……俺の心に触れる指なんだな」
月森は、そっと唇を指に押し当てた。日野のぬくもりを、そこに伝えるかのように。
一方、日野は……。
「ああ〜、月森くん、行っちゃった」
思わず、ため息が洩れる。
「急いで片づけてるのに、さっさと行っちゃうんだもの。待っててくれてもいいのに。まあ、月森くんらしいといえば月森くんらしいけど」
持ち物を手早くしまったレッスンバッグを持って立ち上がり、忘れ物がないか、見回した。すると、先ほどの絆創膏の使用済みの紙が落ちているのに気が付いた。拾い上げて、ポケットに入れようとして、ふと手を止めた。
「指、大丈夫かな、月森くん」
赤い血を一筋流していた、月森の強くしなやかな指を、思い起こす。
「……月森くんの、ヴァイオリンを弾く指……触っちゃった」
感触を呼び起こすように、手を握り合わせてみた。
「ご利益で、少しは上達しないかなあ?」
日野の耳と心には、月森の音がくっきりと刻まれている。縦横無尽に、正確に弦の上を走る指、深く広く、そして妥協のない音色。かなわないのはわかっている。けれど、できるものなら、少しでも近づきたい、うまくなりたい。
(そんな迷信を当てにするより、少しでも練習をするべきだろう)
ぴしりと言う月森の声が聞こえる気がして、日野はくすりと笑った。
「頑張ろうっと。月森くんの前で恥ずかしくない演奏ができるように」
と、その時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
「うわ、急がないと授業が始まっちゃう」
日野は慌てて駆けだした。月森が物思いに耽りながらたたずんでいた木陰から、やはり今走り出したことを、日野は知らない。ふと触れ合った指先のように、思いが重なる瞬間は、まだ先のようだった。
(終わり)
月森は、こういうコケ方をしたら、自分で自分が許せないだろうと思います(笑)
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