管理人の書いた、乙女ゲーの二次創作保管庫です。
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「揺らぐ、時」
こぽこぽと、白いカップに紅茶が注がれる。湯気とともに立ち上がる香りは、茶葉の上質さと、いれている人物の腕前を物語っている。だが今、マルセルの心を惹きつけているのは、彼のためにいれられている紅茶ではなかった。
こちらに横顔を見せているロザリアの、すんなりと伸びた白い首筋に、ほんの一筋落ちた後れ毛を、マルセルは見つめていた。
(髪を下ろしているロザリアを、最後に見たのって、いつだったかな?)
女王候補時代のロザリアは、長い巻き髪を、豊かに垂らしていたものだ。その艶やかな色が好きだったと、マルセルは思い出す。
女王補佐官になってからのロザリアは、伝統的な衣装に似合うように、髪を結い上げるようになった、そうすると、彼女の身についた気品と優雅さが前面に出て、押しも押されぬ女王補佐官らしいたたずまいとなった。それはそれで、もちろん悪くないと思う。彼女は、女王補佐官なのだから、それにふさわしい装いをしているのは、望ましいことだろう。
(でも……なあ……)
そうして納得しようとするたびに、マルセルは小さな反発を覚えるのだった。以前のロザリアは、あの巻き髪を揺らして、ころころとよく笑ったと思う。ところが、今の彼女は、にっこり優雅に微笑むだけで、声を立てて笑うことが、少なくなったのではないだろうか。また、物わかりのよさそうなその微笑みは、彼女の心情から出たものではなく、むしろ本心を隠すための煙幕になっているように、感じられてならなかった。
守護聖と女王補佐官。共に女王を支え、宇宙の発展に力を尽くすという、共通の使命で結ばれたはずなのに、以前よりずっとロザリアの心は、遠くなってしまったようだった。
優雅な微笑みは、婉曲的な敬遠策。そして、それによって作り出される距離感が、どうもマルセルには、気に入らなかった。よく笑って、ちょっと意地っ張りで、時々つんと怒る、そんなロザリアが、好きだったから。
「マルセル、お茶が入りましたわ、どうぞ」
ロザリアが、にこやかに、カップを差し出す。彼をもてなすために、細心の注意を払って、いれられた紅茶。だが、マルセルの心は、和まなかった。本心を押し隠す微笑みは、かえって軽く彼を苛立たせた。
「どうなさったの?」
手渡されたカップに口も付けず、黙り込んでいるマルセルに、ロザリアはいぶかしげに眉をひそめた。いつも快活で、屈託のない彼らしからぬ態度だ、と。マルセルは、ぱっと顔を上げ、ロザリアを見つめた。
「ねえ、ロザリア。今、森でラズベリーが実ってるんだ」
「え? ま、まあ、そうですの」
何の脈絡もない話を振られて、ロザリアは面食らった。その様子に、頓着することもなく、マルセルは勢い込んで、話を続けた。
「来週、皆でお茶会をするんだよね? 摘みたてのラズベリーがあったら、みんなも、陛下も喜ぶと思わない? 一緒に摘みに行こうよ! 僕、とっておきの場所を教えてあげるよ!」
一息にまくしたてるマルセルの話を、ロザリアは目を丸くして聞いていたが、終わりの方になると、苦笑を浮かべた。「しかたがない」とでも、言いたげに……。
「そうですわね。では、連れて行って下さいな」
「じゃあ、今度の日の曜日に行こうよ。僕、君の邸まで迎えに行くよ」
「わかりましたわ」
にっこり頷くロザリアの気持ちは、マルセルの子供っぽい気まぐれにつき合うというほどのものだった。そう、彼女は毛ほども気づきはしなかった。今、マルセルを駆り立てているのが、自分へのもどかしさであることを。
“はいはい”とでもいうような、ロザリアの笑顔を見ながら、マルセルは、思いを強くした。この表だけの笑顔を、きっと取り外してみせる、と。
窓から差し込む日射しに、少し目を細めながら。マルセルはロザリアに念を押した。
「約束だよ! 僕、楽しみにしてるね!」
すみれ色の瞳の奥に、小さな炎が揺れていた。
約束の日の曜日、邸の玄関先でマルセルを出迎えて、ロザリアは、目を瞠った。
「まあ、マルセル。馬に乗って来たんですの?」
「そうだよ。僕が馬に乗れるの、知らなかった? このスノークイーンをジュリアス様に頂いてから、随分練習して、お墨付きをもらったんだ」
「そうでしたの。でも、私……」
「大丈夫だよ。僕が乗せてあげるから。馬車で行くと、目立つじゃない? 秘密の場所だから、あんまり知られたくないんだよね」
「マルセルったら」
ロザリアは微笑まずにはいられなかった。
「スノークイーン、今日はロザリアも一緒だからね。よろしくね」
マルセルが話しかけると、馬はぶるんと鼻を鳴らして、鼻先をマルセルの頬に押し当てた。その1コマで、馬とマルセルの間に、信頼関係が成り立っているのが、伝わって来た。ロザリアがほのぼのとした思いで、眺めていると、ふいにマルセルが言った。
「ロザリアも、スノークイーンに挨拶してみる?」
「え?」
「大丈夫だよ。スノークイーンは、とってもやさしいから。きっとお互いに好きになれるよ」
促されて、ロザリアは恐る恐る馬の傍に寄り、首筋に手を当ててみた。
「こんにちは、スノークイーン。今日は、宜しくね?」
すると馬は、大きな円い瞳で、ロザリアを見つめ、挨拶を返すかのように、軽く頭を下げ、蹄で地面を掻いた。
「まあ、ほんとに、言葉がわかるみたいね」
ロザリアは驚くとともに、馬という生き物は、確かに人と心を通わせることができるのだと、実感した。
「もちろん、わかるよ。ジュリアス様だって、馬ととっても仲良しだよ」
何気なく言葉を返したマルセルは、ロザリアの顔に、ふいに憂いが浮かぶのを見て、はっとした。
(僕、何かまずいことを言った?)
不安に駆られつつ、ロザリアの様子をうかがうと、憂いは一瞬のうちに消え、いつもの微笑が、それにとって変わった。そして、至極自然に、ロザリアは話題を変えた。
「では、挨拶もすんだことだし、そろそろ出かけましょうか」
「あ、うん」
(……今、少し、見えた気がする)
ロザリアが馬の背に上がるのに、手を貸しながら、マルセルは思った。
(……何を、隠しているの、ロザリア?)
それを知ることこそが、今日の目的だった。マルセルは、心の中で、先ほどの会話を反芻してみた。どこで、ロザリアは、悲しげな表情をよぎらせたのか……。手がかりがつかめた気がしたが、それを確信に変えねばならなかった。
(よおし!)
マルセルは、唇をきゅと結ぶと、求める答えにたどり着くと、改めて心に決めた。……ただ、もし、その答えが、今マルセルがうっすらと予測しているものであったなら……。けっして嬉しいものではないとも思えたが。
(でも、ロザリアのウソの笑顔を見ているより、ほんとのことがわかった方がいい……)
「マルセル、どうかしました?」
「え? 何?」
「いえ、出かけないのかと……」
「あ、そうだね、ごめん!」
馬に二人して乗ったまま、一向に出発する気配がないのでは、ロザリアがいぶかるのも、無理はなかった。
「じゃあ、行くよ!」
手綱を少し打ち付けただけで、待ちかねていたように。スノークイーンは走り出した。軽快なギャロップを続けるうち、前に座ったロザリアの髪から、ふっと香りがのぼるのを、マルセルの鼻はとらえた。
(ねえ、こんなに近くにいるのに、君の心は、どこにあるの?)
今日もきちんと結い上げられたつややかな髪に、胸がちりりと切なくなった。
「もうすぐだよ。ほら、あそこの森の中なんだ」
マルセルが、緑の野の先に見えるこんもりとした木立を示した。
「ああ、あそこですのね……」
ロザリアの言葉には、少し残念そうな響きがあった。日の光を浴びながら、耳元を吹きすぎる風を感じながら、馬に乗っているのは、何とも心地よかったからだ。もう少し乗っていたい。そんなロザリアの気分を感じ取ったのだろう。さりげなくマルセルが言った。
「もう少し、この辺りを走ってから、森に行く?」
「でも、時間が……」
道草をする時間はないのでは……と言い終わらないうちに、マルセルは馬に指示を出していた。足並みが速くなり、頬に当たる風が強くなる。
「マルセル!」
「今日ぐらい、ゆっくりしたって、いいじゃない。帰りが少し遅くなっても、スノークイーンの脚で取り戻せるよ。それに、あっちの丘を登ると、湖が見えるよ」
馬を御しているマルセルに、あらがうすべは、むろんなく。彼の前に、横座りに座ったロザリアは、振り落とされないように、マルセルの腰に、しっかり手を回し直すほかはなかった。きゅっと力を入れてみて、少し驚いた。細身のマルセルだったが、意外にも固い、それでいて弾力のある筋肉の感触が、手にはね返って来たからだ。
(やはり、男性なのだわ……)
少女めいたやさしい顔立ちであっても、そこは違うのだと、改めて気づかされる。
(これから、マルセルは、どんな風に成長していくのかしら……)
そんな思いが、ふと胸に兆した。守護聖の身の上に流れる時間の速度は、緩慢ではあるが、止まっているわけではない。マルセルも、いつか少年時代を終えることだろう。眉目秀麗な若者になるのは、ほぼ間違いなかったが、ロザリアの頭の中のイメージは、まだ見ぬ成長したマルセルの想像図から、同じ金の髪を持つ、別の人物との記憶へと移行していった。
『新たな女王補佐官に、期待している』
清廉な微笑とともに、言われた言葉、心に刺さって抜けない言葉が、耳に甦ってくる。
(いいえ、あの人とは、違うわ、きっと……。何もかも……)
ロザリアは、図らずも思い浮かべてしまった、その人物の面影を、首を振って、追いやろうとした。うっかりかさぶたを剥がしてしまった心の痛みに耐えるため、無意識にぎゅっとマルセルの服を握りしめた。すると、温かい手がそっと重ねられた。
「怖い? スピード、落とそうか?」
「いいえ、マルセル。平気ですわ。もっと速くても、いいぐらい」
「そう? じゃあ、あの丘まで、早駆けするから、しっかり捕まっていてね」
「ええ」
走る速度が更に上がる、耳元で風がびゅうと鳴り、景色が飛ぶように流れて行く。すると、憂いも少しずつはがれて、吹き飛んでいくようだった。マルセルの胸に寄り添いながらロザリアは、塞がれた心が伸びやかに広がっていくのを、感じていた。
「さあ、着いたよ!」
小さな丘の頂で、マルセルは馬の脚を止めた。
「まあ……!」
眼下に広がる風景に、ロザリアは言葉を失った。陽光にきらめく青い湖水と、その周りを縁取るように、萌え上がる新緑。
「ね、いい眺めでしょう」
「ええ、ほんとに! こんな風に、湖が眺められるなんて、知りませんでしたわ」
「そうだね、僕も、ジュリアス様に、遠乗りで連れて来てもらうまで、知らなかったんだ……」
マルセルは、ここで言葉を切った。そして、前に座ったロザリアの肩が、わずかに強ばるのを見て取ってから、続けた。
「……でも、これから行くラズベリーの場所は、ジュリアス様だって、知らないよ。だって、僕が見つけたんだもの。たくさん摘んで、みんなをびっくりさせようよ」
「ええ、そうですわね」
ロザリアは、マルセルの方を振り向いた。馬に揺られて来たために、ほんのり上気した顔の中で、青い瞳がさざ波のように揺れていた。だが、更にその奥には、ちかりと硬質な輝きがあった
何かを見定めようとするようなその輝きを、マルセルは自分の意志を込めて、見つめ返した。
するとロザリアは、長い睫毛を、数度しばたたかせて、目をそらした。背けられた頬から首にかけてのかたい線が、緊張を物語っていた。彼女の心の掛けがねに、一瞬手を触れることができたような気がしたが、どうやら警戒されてしまったようだ。彼女の心は、まだ固いつぼみのままで、その奥を見ることは叶わないようだった。
いっそそのつぼみをこじ開けたい、そんな欲求が胸の底からむらむらと立ち上ってくる。それを何とか押さえ込みながら、マルセルは普段通りの明るい口調で言った。
「そろそろ、行こっか。ラズベリーが待ってるよ!」
馬は、再び走り出した。胸に感じられるロザリアの体温が、ほんの少し熱くなった気がした。
森の中には、細く踏み固められた道が続いていた。
「動物たちが作った道だよ。滑らないように、気をつけて」
ロザリアに手を差し伸べながら、マルセルは言った。その手に掴まって、慣れない道をたどりながら、ロザリアは不思議な心持ちがしていた。今は日中で、森に入るまでは、少しまぶしいほどの日射しが、視界を満たしていた。ところが、ここでは木々に遮られて、その日射しの明るさも熱も半減し、影色がかぶさった色濃い緑の中は、ほとんど音さえしなかった。ただ土を踏む二人のかすかな足音と、時折、姿の見えない野鳥の声が鋭く響くだけだった。
そんな中で、前を歩くマルセルの髪だけが明るく、つないだ手は温かかった。
(私を、どこへ連れて行くの……?)
ためらいなく進む金の髪を見つめ、手を引かれながら、ロザリアは思った。来週の予定や、執務机の書類の束は、忘れてしまった。ほの暗い森のにおいと、いずこかへ誘おうとする森の精のような少年、それが今、彼女が受け止めるすべてだった。
と、マルセルが、振り返った、こぼれるような笑みとともに。
「到着〜!」
手を強く引かれ、そっと背中を前に押し出された瞬間、ロザリアは目を細めた。そこは、今まで抜けて来たよりも、木の密度がまばらで、日光が矢のように差し込む窪地だった。突然視界に戻って来た光に戸惑って、目をぱちぱちさせていると、彼女の額の上に、庇のように手をかざして、マルセルが言った。
「すぐに目が慣れるよ」
彼女を見つめるすみれ色の瞳は、踊っている、その明るさ、穏やかさに、ロザリアは安心するとともに、ちょっと拍子抜けした気がした。
……今日、行動を共にするはじめから、時々マルセルが投げかけて来た、あの強い瞳は、何だったのだろう? その視線を向けられるたびに、心の奥底を見透かされそうで、不安で……。それでいて、すっかり委ねてしまいたいような矛盾した気持ちもどこかにあって。二つの感情の間でずっと今日は揺れ動いていたのに……。ただの自意識過剰だったのだろうか。
そんな風に考えを追っていたその時、マルセルが息もかかるほど、近くに来て……ロザリアは、はっと身を固くした。額の上の方にかざされていたマルセルの手が、降りて来て、彼女の耳の傍に垂れた一筋の髪を、すくい上げる。
「髪、風で、乱れちゃったね。……僕は、下ろしてる方が好きだけど」
「あ……」
かすかに肌に触れる指先の感触に、背筋が泡立つ。思わず身をすくめ、目をつぶったが、見なくても伝わって来た。マルセルのあの意志を秘めた瞳が、じっと自分に注がれている。
からだを縫い止められたような数瞬が過ぎた後、何のかげりもない楽しげな声が響いた。
「そろそろ、摘み始めよっか」
「え?」
目を開けた時には、マルセルの気配は、もう傍らを離れ、丈高い木の下に、丸く盛り上がった茂みの中にあった。
「こっち、こっち!」
こちらに向かって、手を振って笑いかける、その屈託のない様に、ロザリアは少し腹を立てた。さっきの、凝固したような時間、ざわめく身と心を持て余したのは、自分だけだったのか。マルセルにとっては“何でもないこと”だったのか。いや、実際、彼は何をしたわけではない。ただ、髪をすくい上げて、頬に触れただけだ。なのに、視線や指先一つで、幾度も心をかき乱されるのが、口惜しい。
(もう、決して、心動かされたりするものですか!)
歯がみしたいような思いから、つんと頭をそびやかし、ロザリアは、マルセルが呼んでいる茂みに近寄った。
「ほら、見て、ロザリア」
「まあ」
緑の葉の間には、色づいたラズベリーが、鈴なりに実っていた。マルセルは、一粒をもぎ取ると、ロザリアの目の前にかざして見せた。
「これぐらいのが食べごろだね。味見してごらんよ」
ロザリアは一瞬ためらったが、新鮮な赤色と、邪気のない笑顔につられて、誘われるままに、口を開けた。熟した実を噛むと、口の中に甘酸っぱさが広がった。その一粒には、畑で育てられているものにはない、さわやかな風味が詰っていた。
「おいしい!」
「でしょう?」
マルセルは、自分も口の中に一粒放り込むと、満面の笑みを浮かべた。
「うん。今年も、すごくおいしいや」
そうして立て続けに、数個を口に入れると、いかにもしあわせそうに、噛みしめながら、ロザリアに小振りの手かごをよこした。
「はい、これ、使ってね。どっちが、たくさん摘むか、競争だよ! あ、枝に刺があるから、気をつけてね」
手かごを受け取りながら、ロザリアは、ためらいがちに口に出した。
「あの、マルセル」
「何?」
ロザリアは自分の口の端に触れてみせた。
「ここに、赤い汁が付いてますわ」
「ああ」
マルセルは、さして恥ずかしいとも思わない様子だったが、指摘された辺りを、ぺろりとなめ上げた。熟した果汁、少し紅を差したような少女めいた唇、赤い舌。それらが一瞬重なって、ロザリアは、何となくどきりとした。
「どう? 取れた?」
「ええ」
うなずくロザリアに、マルセルは、ふいに身を寄せ、顔を覗き込むようにした。
「な、なんですの?」
「ロザリアだって、付いてるよ、ここに」
「ええっ? どこに?」
慌てて、口元に手を当てるロザリアに、マルセルは声を立てて笑った。
「嘘だよ。汚れてなんかいないよ」
「まあ!」
眉を跳ね上げるロザリアを、いなすようにマルセルは言った。
「でも、なめたら、きっと甘いね。だって、同じ実を食べたんだもの」
「マルセル! からかわないで!」
頬に血をのぼせたロザリアの抗議は、まったくマルセルの耳に入らないようだった。小首を傾げて、くくっと嬉しそうに笑うと、ピストルを空に向けて打つ真似をした。
「さあ、競争開始だよ! よーい、ドン!」
言い終わるや否や、茂みに頭を突っ込むようにして、ラズベリーを摘み始めた。
「……!?」
みごとに受け流されて、ロザリアは、続く言葉を引っ込める他はなかった。
(まったく……なんてことなの!)
出口を失った怒りが、胸の中でぷすぷす言っていたが、当のマルセルは、そんなロザリアを気にする気配もなく、ラズベリーを摘むのに一心不乱という風情だった。そんなマルセルの手かごの中身が、どんどん増えていくのを見て、ロザリアは考えた。
(ここで負けたら、またからかわれるに違いないわ!)
振り回されて、少々頭に血がのぼっていたロザリアは、このところ忘れ去っていた負けん気を取り戻し、勢い良く茂みに手を突っ込んだ。そして……。
「あ……痛!」
鋭いものに指を刺されて、思わず手を引っ込めた。
「ロザリア、どうしたの?」
弾かれたようにマルセルが向き直った。
「いえ、刺を指に……。たいしたことはありませんわ」
「見せて!」
指を隠そうとするロザリアの手を、有無を言わさずに取ると、マルセルは人差し指の先にできた傷を改めた。指には、赤い血の玉がぷっつりとわき上がっていたが、仔細に眺めて、刺が指に残っていないのを確認すると、マルセルは、ほっと息を吐いた。
「良かった、刺はないみたい。ごめんね? 僕が傍にいながら、こんな怪我をさせちゃって」
「いいえ、私が悪いのですわ」
ロザリアは、首を振った。
(そうだ、マルセルは、最初に、刺に気を付けるようにと言ってくれたわ。それをすっかり忘れていたのだから、自業自得だわ)
子供っぽい対抗意識から、やみくもに茂みに手を入れた自分の幼稚さが、恥ずかしくて、うつむいた。
そんなロザリアを、マルセルが、気遣わしげに、見つめる。
「傷むの? ほんとに、ごめんね」
傷ついた指を、マルセルの両手で、包み込むようにされて、ロザリアは改めて、自分の不注意、軽率さを詫びようとした。その時だった。
「マ、マルセル!」
ロザリアは、驚きのあまり、文字通り跳び上がった。マルセルは、彼女の指を口に含み、そっと傷をなめ始めたからだ。慌てて、手を振り放そうとしたが、マルセルはしっかりとロザリアの手首を掴んで、ぴしりと言った。
「じっとして! すぐ終わるから!」
問答無用の気迫に押されて、ロザリアは、マルセルのなすがままにする他はなかった。恥ずかしさで、目もくらむ思いだったが、湿った舌の感触は、痛みを和らげた。そうして、血が止まったとみると、マルセルは、ポケットから清潔そうなハンカチを取り出し、細く裂いてから、ロザリアの指に巻いて、包帯代わりにした。
「とりあえず、これでよし、と。帰ってから、ちゃんと消毒しないとね。刺の傷は、化膿すると、大変なことになっちゃうから」
「……ありがとう、マルセル」
「お礼なんて、とんでもないよ。怪我させちゃって、ごめんね……」
マルセルの視線が、傷ついた指先から移動して、ロザリアの瞳を正面からとらえる。
「マルセ……!?」
すみれ色の瞳の奥にかぎろう炎に、ロザリアが脅えたその刹那、彼女の唇は塞がれていた。
「や……!」
顔を背け、両手でマルセルの顔を押しのけようとしたが、両手を強い力で掴まれて、その抵抗は封じられた。
「う……」
深く唇を重ねられて、息が詰まりそうになる。するとマルセルは、顔を離し、しっかりとロザリアを抱き寄せた。
「うう……」
突然力ずくで、踏み込まれたショックで、ロザリアのからだは震え、目尻からは涙が落ちた。マルセルは、それに対して、詫びるように、埋め合わせるように、ロザリアの背中を撫でさすりながら、熱っぽくささやいた。
「……怒ったり、泣いたりしたらいい。僕は……補佐官じゃない、そんなロザリアが好きなんだから……!」
(補佐官じゃない……私……)
マルセルのその一言によって、ロザリアが懸命に保ち続けていた何かが崩れた。堰を切って溢れ出した衝動のままに、ロザリアはマルセルの肩に腕を回した。倍の強さの力で、抱き締められた。熱い抱擁に身を委ねながらも、ロザリアは、頭の隅で思い描いていた。ずっと道しるべとして、仰いで来た、揺るぎなく蒼い瞳を……。
(どう……したら、いいの?)
いつしか涙は溢れ出し、頬を濡らした。マルセルは、その涙を受け止め、ずっとずっとロザリアの背を撫で続けていた。
夕暮れの風が吹き始める。スノークイーンの上で、ロザリアは小さく身震いをした。
「少し冷えて来たね」
「ええ、でも平気ですわ」
再び馬上の人となり、帰路についた二人。マルセルは、スノークイーンを歩かせながら、時折前に座ったロザリアの様子をうかがった。自分の今日のふるまいが、彼女の心に、二人の関係に、何をもたらしたのか、と。
すっかり言葉少なになってしまったロザリア。一体、今日のできごとをどう思っているのか。だが、まっすぐ前を向いたロザリアの耳や首筋からは、何も読み取ることはできなかった。
ただ、馬が斜面を下ったり、馬上でからだが弾む時、ロザリアの手がしっかり腰に巻き付き、頬がぐっと胸に押し当てられるのを感じた。そのたびに、マルセルの鼓動は跳ねた。ロザリアの耳に届いてしまうのではと思うぐらいに。
(こんなに、好きだったなんて……知らなかった)
最初は、ただ、以前のような、素顔のままのロザリアに会いたかっただけなのに。だが、そう思うこと自体、彼女に強く惹かれていたということなのだろう。
マルセルは、馬上でからだが弾むのを利用して、そっとロザリアの髪に顎を付けた。
(……もう、離せない、離さない。君の心に、誰がいるとしても……!)
今日一日、ロザリアは感嘆したり、怒ったり、泣いたりした。自分は、彼女の素の感情を引き出すことができるのだと、マルセルは、小さな自信を芽生えさせていた。
(僕の前では……どうか、素のままの君でいて……!)
声にならない言葉で、胸をいっぱいにしながら、マルセルはそっとロザリアの髪に、頬をすり寄せた。するとロザリアは、首を傾けて、マルセルの方へ顔を向けた。青い瞳が、怜悧な光を帯びて、マルセルを見つめる。きっと、彼女の中で、今、何らかの整理を付けようとしているに違いなかった。一体、彼女はどんな答えにたどり着こうとしているのか。そう考えると、たまらずにマルセルは、口火を切った。
「ロザリア……」
「はい?」
「僕……もう、君のこと、離せそうにない……」
口を突いて出た告白に、ロザリアは泣き笑いのような表情を浮かべた。
「……少し、時間を下さいな。でも……」
「でも?」
「あなたの腕は、温かいわ……」
「ロザリア!」
手綱を片手にまとめると、空いた一方の手で、マルセルはロザリアを抱き寄せた。しなやかなからだは、彼の腕にやわやわと預けられ、熱を帯びた。だが、ロザリアのうつむいた首筋は、すべてを彼が手に入れた訳ではないことを告げていた。
(ロザリア……)
せつなさに、胸が締め付けられる……。だが、マルセルは、その痛みをも、手放すまいと思った。彼女を愛するがゆえの、痛みなのだから……。
宮殿の一角。今日のお茶会の会場になっているサンルームには、客が来るのを待つばかりに準備が整えられていた。テーブルの上に、楽しげに視線をさまよわせていた女王アンジェリークが、ふと目を留めて言った。
「あら、これは、何のパイ?」
「ラズベリーよ」
「へえ、きれいな色ね。おいしそうだわ」
アンジェリークは、無邪気に目を輝かせたが、ロザリアは微苦笑を浮かべた。あの日、ロザリアが指を怪我したために、お茶会の出席者全員が生で食べられるほど、ラズベリーを摘むことができなかったのだ。それで、パイに使ったのだが……。アンジェリークがほめた鮮やかな赤色は、ロザリアの胸に染め付けられた、あの日そのもののようだった。
補佐官ではない、ロザリア自身が好きだと、まっすぐに熱をぶつけて来たマルセル。すべてを委ねてしまえれば、と思うのに、何かがロザリアに二の足を踏ませる。それは、女王となるべく育てられ、自分の意志で女王補佐官となった矜持なのか、それとも……。
ロザリアは、小さく息を吐いた。自分の中で何かが変わり始めていることは、確かに感じている、けれど……。
と、その時、ドアの向こうから、人声が流れて来た。
「そろそろ、お客様が来たみたいね」
アンジェリークの言葉に、はっとしたロザリアは、もはやすっかり身に着いた“優雅な微笑み”を素早く顔に貼り付けた。だが、そうした瞬間、胸の片隅が、きしきしと痛みを訴えた。それが仮面であることを、彼女に再認識させるかのように。
軽いノックの音が響き、誰かが部屋に入って来た。
「こんにちは、陛下、ロザリア!」
「よお、来てやったぜ」
マルセルとゼフェルだった。
「いらっしゃい、二人とも。さあ、掛けて」
「なんだ、他のヤツらはまだ来てねーのかよ」
「ええ、二人が一番乗りよ」
アンジェリークが嬉しそうに出迎え、二人は、示された席に座ろうとした。その時、マルセルが目ざとく気づいた。
「あ、ロザリア。この間のラズベリー、パイにしたんだね」
「……ええ」
「数がちょっと少なくなっちゃったものね。でも、ロザリアが作ってくれたのなら、きっととびきりおいしいパイになってるね」
パイに向けられていた目が、ロザリアへと注がれる。
(……!?)
彼女を求めるがゆえの、はぜるような熱が、その瞳には宿っていた。ロザリアは思わず息を詰めた。だが、おとなしやかに目をそらすと、努めてさりげなく言った。
「そう言って頂けると、嬉しいですわ」
その態度に、マルセルが焦れたのが、感じられた。じりりと音のしそうな視線を肌で感じながら、ロザリアは胸の中で繰り返した。
(変れるの、私は? 変わりたいの……?)
答えは、まだ出ない。ロザリアは、顔を上げ、かろうじて言った。
「今日は、暑いですわね、マルセル」
「うん、暑いね」
マルセルが、頬を上気させて答えた。
「はあ? 何、言ってんだ、おまえら。ちっとも暑くなんかねえよ」
ゼフェルがあきれ顔で言った。ロザリアは心の中でつぶやいた。
(ほんとに、熱いわ……)
余人の見えないところで、二人の間の空気の温度、色が、今、変わりつつあった。
(変われるの? 変わりたいの?)
繰り返す問いの中で、ロザリアの心は、振り子のように揺れていた……。
(続く……かもしれない・汗)
ここまで至るのに、結構苦戦しました。
マルセルが発揮する若さ(稚さ?)と、美少年の実力ってのが、
目指した方向だったのですが、やっぱり彼はいいコなので、キョーアク
にはなりきれなかったな、と^^;
けど、振り回されるロザリアが不憫で、ヴィクトールに甘えさせてあげたく
なりました。
あの方を、やはり出さないとな〜、と思うのですが。
ロザリア同様、自分も先があんまり見えないです、嗚呼……orz
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